大道を堂々歩く 越崎宗一

2026年08月28日

郷土史研究の第一人者

 人も知る小樽きっての文化人である。小樽郷土史研究会長として郷土史の研究ではあまりにも有名な人。その著書には『ニシンご殿】『ニシン場秘話』『開拓使前後』などがあり、この方面の研究では自他ともに許す第一人者である。

 越崎商店の三代目で家業をよく守り抜いてきた。『二代、三代目はえらそうなことをいっても、ただ家業を受け継いだだけでなんということはありません。そこへいくと一代で築いた人たちはやはりりっぱですよ』とけんそんして物静かに語る宗一はどちらかというと事業家ハダではない。『うそは決していいたくない。人をだましてまで商売をのばそうとは考えていません。大道を堂々と歩いていく。こらが私の商売にたいする信条…』といっていることばからも宗一の人柄がうかがいしれる。

 ①おたがいに健康第一を心がけましよう②勤勉協力をむねとしましよう③礼儀規律をまもりましよう④物を大切にしましよう⑤え顔で話し合いましよう…これが越崎商店の店是五則。十年ほど前から朝礼のときに全店員が宗一に続いて唱和している。これについて宗一は『やはり何か心がまえを決めてその一日の仕事をすることが一番いいのではないかと始めたわけです』ということで、ともかく越崎商店は和気あいあいたる店としてしられている。

 宗一は明治三十四年七月小樽で生まれた。越崎商店は祖父の宗平が明治六年石川県の大成寺から小樽にきて開いた古い店。当時山の上で日用品、雑貨商を始め次いで有幌に移り、同二十七年に現在の港町に落ち着いた。このとき郷里の石川県から父惚太郎がやってきたわけで、その後日露戦争や第一次世界大戦の戦争景気が続いて商売の砂糖、食料品の卸し商売はおもしろいほどもうかった。

 こうしたしにせ越崎商店の三代目として生まれた宗一は樽商第二期生をへて小樽高商、東京商大に学び大正十四年に卒業、すぐ札幌のビール会社に勤めた。札幌と函館に十六年間勤めたが、この間に食料品や酒関係に多くの知人をえて、その後の家業に大いにプラスになった。

 『昭和十五年に父が死亡して家を継いだのですが、当時はすでに統制時代にはいり、商売ができないので北海道砂糖卸組合の専務理事や北海道油脂卸組合の役員をして札幌へ毎日通ったものでした。戦後二十二年砂糖、小麦粉などの卸し業を再開して、まあ地道に商売を続けているわけです』越崎商店の商圏は北見、根室、函館など離れたところを除いては道内中央部と海岸地方の大半をしめ、年商七億円と道内有数の食料品問屋である。小樽と札幌に店を持ち従業員五十四人、宗一はその人柄をかわれ小樽砂糖卸協会長、商工会議所卸商連盟副会長などをして小樽経済の重鎮でもある。

(敬称略)

小樽経済百年の百人

北海タイムス社編

昭和四十年六月十六日~昭和四十年九月二日連載