浦添市市制施行55周年 GOGO!浦添!時空巡りスタンプラリー

2026年05月27日

~琉球王国の源流から未来へ~

きこゑうらおそいや とよむうらおそいや(名高き浦添 豊かな浦添)

紹介~かつて沖縄県は琉球王国と呼ばれ、独自の文化を形成してきました。14世紀頃の琉球王国は、北山、中山、南山という三つの小国に分かれていました。その中でも最も有力な勢力だったのが、中山で、今の浦添にあたります。浦添は文化と貿易の中心地へと発展し、首里以前の都として栄えました。浦添グスク(城)には「瞬天・英祖・察度」の三王統が誕生し、察度王の時代には、牧港を中心に中国との朝貢貿易を始め、また、泊や那覇を開港し、琉球王国の礎を築いたといわれています。

物語~琉球王国以前の「古琉球時代」と「現代」を行き来する…

太陽の道しるべ 命の再生をたどる 浦添の「ていだこ(太陽の子)の秘密~一年で一番、太陽が輝く時間が短い冬至。昔の人々は、この日に太陽が生まれ変わると考えました。人々は、この日の太陽を「若太陽(わかてだ)」と呼んで、若々しく生命力にあふれた、すばらしいものとして、大切にしました。冬至の日、浦添ようどれでは、昇ってきた太陽の光がちょうどアーチの門の正面から差し込みます。浦添ようどれに太陽の力を取り込むために、わざとそのように設計したと考えられています。また、グスクの東端には、ワカリジーと呼ばれる突き出た岩があって、冬至の太陽は、この岩の背後から昇ります。きっと昔の人々は、太陽に照らされる浦添ようどれやワカリジーに、命の誕生や再生を祈ったでしょう。

 

三王統の紹介

 

瞬天~伝説につつまれた王

琉球に渡った源為朝を父親、大里按司の妹を母親とする出自伝説を持つが、若くして浦添按司となり、1187年に人々に推されて王になった。

 

英祖~太陽の子といわれた王

1200年に義本から王位を譲られた。伊祖城主・恵祖世主の妻が、懐に日輪の入る夢を見て、後の英祖王を授かったという。それ故、彼は「ていだこ(太陽の子)」と呼ばれた。

 

察度~海外交易の扉を開いた王

察度は浦添間切謝名の奥間大親と伝説上の天女である飛衣(羽衣)の子とされる。1372年に明の皇帝の招きに応じて死者を送り、初めて中国と正式に国交を結んだ。留学生も派遣している。

 

11.1土➧2.28土 27か所を巡ります。

 

1.18

玉城朝薫の墓

玉城朝薫(1684~1734)は琉球独特の歌舞劇「組踊」の創始者です。彼は中国からの冊封使を歓待するために踊奉行となって組踊を生み出しました。この墓は三輪の石積みなどが曲線を描くのが特徴的で、亀甲墓が成立していく17世紀後半から18世紀前半に造られたと考えられています。

 

ワカリジー

ワカリジーは、浦添城跡東端にある神聖な岩で、「琉球国由来記」にも記されています。英祖王の子イソノシ―を祀り、地元や首里・那覇から信仰されました。沖縄戦では「ニードルロック」として激戦地となり、明治時代以降は「為朝岩」とも呼ばれています。

 

浦添城の前の碑

これは尚寧王が1597年に首里から浦添城への道路整備を記念した竣工記念碑です。(1999年復元)表は琉球かな文字、裏は漢文で「国民が力を合わせ道や橋を造った」と記されます。石碑上部には、国王を表す太陽、優れた君主を示す鳳凰、琉球が豊かな土地だったことを意味する瑞雲がレリーフとして刻まれているのも特徴です。

 

浦添ようどれ

浦添ようどれは、浦添城内にある崖の横穴を利用した主の墓。「ようどれ」は方言で「夕凪」の意で「墓」の意味に用いられています。13世紀の英祖王陵(西室)と、17世紀に改修し尚寧王ら一族が葬られた尚寧王陵(東膣)から成り、石厨子が安置されています。

 

当山の石畳道(普天間参詣道)

当山の石畳道は、浦添城跡近くにあり、首里と本島中部を結ぶ「普天間参詣道」の一部です。琉球王国が普天間宮へ参詣する際に通った道とされ、現在約200mが修復保存されていますが、「馬ドウケーラシ」という馬が転ぶほどの急坂がある難所として知られていました。

 

1月25日(日)浦添市歴史にふれる館

『土日、休館!へとへとだ~(:_;)』

 

2.7伊祖城跡

伊祖城跡(伊祖グスク)は、琉球国初期の英祖王父祖代々の居城と伝わる史跡で、「イージュグスク」とも呼ばれます。丘陵には切石積みや野面積みの石積み城壁が残り、発掘未実施ながらグスク時代の土器や中国製の陶磁器が出土しています。

浦添市美術館(朱塗散水人物箔絵東道盆他43件、向姓家譜(邊士名家)

沖縄初の本格的な美術館として1990年に開館しました。八角形のドーム屋根と高い塔の建物外観が特徴です。漆芸品を中心に絵画や焼き物、染織、金工など2000点余りの美術品を所蔵しています。16世紀から現代までの琉球漆器を通して琉球・沖縄の歴史や文化を紹介しています。

 

2.14

前回来た時、休館でした。

お気に入りのスマートフォンケースがありました。

 

安波茶橋(中頭方西海道)

中頭方西海道は、首里城から続く琉球王国時代の主要な宿道です。その遺構として、安波茶橋(南橋。北橋)と石畳道が修復・保存されています。橋は1597年の道路整備時に造られたと推定され、近くには国王に清水を献上したとされる井泉「赤皿ガ—」があります。

 

2.18カーミージー

キャンプギンザーの北端にある岬が空寿岬(くじゅうさき)。岬の先端は亀の甲羅の形をしていてカーミージーと呼ばれている。一帯はイノーが広がり環境学習・自然体験の場として、市民にも親しまれている。干潮時には遠くまで歩いて行くことができる。

 

仲間氷川(仲間の拝所群)

日常の飲料水としての利用をはじめ、産水・正月の若水などを汲む場所でした。1935年には大規模な改修工事が行われ水タンクが設置されました。タンクからあふれた水は洗濯などをする「平場」を経て、農具や馬を洗う「ウマアミシ」に溜まるように造られています。

 

たくさんの資料を手許にし、てくてく旅でようやく、27か所を

 

住宅地に、このような場所もありました。

史跡 地頭火ヌ神(仲間の拝所群)