カテゴリー:原稿小樽明治29年からの四十年誌

  • 長年の疑問

    日付:2024年02月11日 カテゴリー:原稿小樽明治29年からの四十年誌

     汽船は定期船その他入港せる汽船もありたれども運賃の関係もあり問屋筋の都合もありてか海産物などは絶えて汽船積みにしなかったのであるが、この頃より移住民が各地より続々来るのでそれを小樽へ揚陸せしめ小樽より石狩原野その他へ送 […]

  • 小樽四十年誌 付手宮発達記 その十四

    日付:2021年11月27日 カテゴリー:原稿小樽明治29年からの四十年誌

    また港町の遠藤又兵衛氏は小樽一流の海産商で富岡町が開けてからここに邸宅(今の山本厚三氏の邸なり)を築き店は港町をきりあげ今、手宮停車場(てつどうえき)前の渋沢倉庫事務所のところで盛んな店であった。氏はすこぶる厳格なる方で […]

  • 原稿 小樽明治29年からの四十年誌 入船、港町方面

    日付:2020年06月02日 カテゴリー:原稿小樽明治29年からの四十年誌

    また共成会社の全盛時代は出入りの馬車屋が百数十人もあって、皆な立派なる馬の持主のみで例えにも大にして立派なることを共成の馬のようだと称賛したものである。年に一度の新年会には馬車屋を開陽亭へ招いて、たらふく馳走にあずかりて […]

  • 手宮風土記

    日付:2020年05月26日 カテゴリー:原稿小樽明治29年からの四十年誌

    ー手宮ー 手宮はわかりよくいふと、石山以北の總稱で、南は淨應寺坂下の辺から能島の小丘を圣て郵船の社宅まで一直線に見て、それから東の浜手に密集した戸数八、九百程の聚落がそれであった。 道路は、浜町通、手宮町通、裏町通と、縱 […]

  • をたる開拓のうら・おもて 山谷敏行翁

    日付:2020年05月22日 カテゴリー:原稿小樽明治29年からの四十年誌

     山谷敏行翁(一) 能島別莊の上の高臺で古代文字の山谷さんといへば、あ、あの人かと誰もが知つてゐるほど翁と古代文字とは不可分の關係にあるし、また古代文字の紹介にこれほど力を盡してゐる人はあるまい。 ♢俳諧もやる […]

  • すこ~し、繫がってきました

    日付:2020年05月15日 カテゴリー:原稿小樽明治29年からの四十年誌

    小樽市の進歩発展とその輪郭の概況及び手宮方面発展の見聞記 これより編者が、明治二十九年以来、市内を散歩して見たり聞いたりのままを、記憶より引っ張り出して、急進的発展の実情を摘発し、ことに編者は手宮方面に居住せるをもって、 […]

  • 小樽四十年誌 付手宮発達記 西谷回漕店

    日付:2019年11月22日 カテゴリー:三井銀行・三井物産

    堺町、色内方面 それより中央部にきて堺町、妙見町(みょうけんちょう)、砂崎町(すなざきちょう)、南濱町(みなみはまちょう)、色内町などは明治二十九年頃では入船町、港町に劣らざる商家が櫛比(しっぴ)し問屋に小売店に銀行など […]

  • 蒸気ポンプとホース

    日付:2017年02月26日 カテゴリー:三井銀行・三井物産

    によると…明治四十五年 明治陛下御不例(ごふれい)であって同志会が起して多数有志は御脳(ごのう)御平癒(ごへいゆ)の祈願に住吉神社へ行きその帰りに編者と外(ほか)五、六名花園町にある店に水管車を取付けべくホースの陳列して […]

  • ビール競争

    日付:2016年12月30日 カテゴリー:原稿小樽明治29年からの四十年誌

    によると…また栗林であった雑草の公園も少しく公園らしくなって人が来るようになりまた同志会も翌年より観桜会と称して年々大宴会を公園でひらくようになった。この第一回宴会の時の如きはビール競争の時代で札幌ビールと桜ビールと双方 […]

  • たしか

    日付:2016年11月07日 カテゴリー:原稿小樽明治29年からの四十年誌

    たしか 手宮洞くつのことを書いてあったはず…次に手宮公園の上下にある高島道路は区役所が自然に感じて便利良く開鑿(かいさく)したのであると思います。下の道路は有名なる古代文字がありて宮様の御台覧(ごたいらん)もあり貴賓学者 […]