製品開発に半世紀 浜村由太郎
2026年08月20日

愛されるクツづくりに励む
半世紀にわたってゴム製品やゴムぐつの研究を続けてきた由太郎はいまではゴム業界になくてはならない人物となった。
由太郎は明治三十三年七月四日石川県石川郡二塚村で農業を営む五兵衛の四男として生まれた。十七歳のとき友人とともに故郷をあとに神戸に出て、三角ゴムの職工として入社、従来まじめなのと負けずぎらいから人一倍働き、研究したため、大正十年社長に見込まれ、二十二歳の若さで三角ゴムの小樽支店長として来樽した。
着任後、小樽市内のゴム業界の人たちと接しているうち、当時倒産寸前まで追いやられていた東洋ゴムの社長にくどかれ、三角ゴムを退社。東洋ゴムの工場長として迎え入れられた。由太郎は社長の人柄に打たれ、何とか社の立て直し策をと日夜努力、昭和九年まで骨身惜しまず働き抜いて社も再建へと向かった。自分の任務もこの辺で、と翌十年こつこつためてきた五千円を資本に新興ゴム会社を設立、独立第一歩を踏み出した。
創立当初は資金もかんばしくなく、工員も五十人といった町工場ていどで経営のやりくりにくろうした。これがさらに昭和十三年戦争が起きて材料難がひどくなり、経営はいっそう苦しさをました。
由太郎は考えたあげく、くつの場合どうしても左足は右足に比べ長持ちすることに着眼、使い物にならなくなった古ぐつをほうぼうから集め、この中から左のくつだけを選別して機械を使い、高熱で右足に変えることに成功した。
当時物価の統制で長ぐつなど自由に買えないときでもあり、新興ゴムから送り出した再生ゴムぐつは面白いぐらい売れて、市民から喜ばれ、由太郎は大金を手にすることができた。
昭和二十四年にいままでの新興ゴムを第一ゴムとし、株式○○で再発足、現在では三万三千平方㍍の敷地に、十二むねの工場が建ち並び由太郎が長年かかってこうあんした『あせをかかない長ぐつ』をはじめスキーぐつ、かっぱ、ゴム手ぶくろ、ビニールガッパ、工業用ゴムパッキンなどを市場に送り出している。
とくにスキーぐつはアメリカ、カナダに年間五千足を輸出しており、全生産高もいまでは年間七億円にのぼる大会社にのし上がった。
由太郎が誇りにしているのは毎年中央で行われるくつのデザイン、品質コンクールに第一ゴムから数点出品しているが、今日まで東京以北受けたことがないという特別一位の総理大臣賞のほか通産大臣賞を第一ゴムが独占、カップやたてが工場内に一角にところ狭しと陳列されている。
由太郎はいつも社員に『人に愛されるくつをつくるよう努力しなければいけない』『時間は絶対守ってほしい』と口やかましくいい聞かせており、由太郎自身、ゴム業界にはいって今日までの半世紀を無遅刻、無欠勤を続けている。だから社員の中から遅刻者は創業以来一人も出ていない。
由太郎はゴム一筋に生きてきた人で、社長室におさまっているのが大きらい。いまでも勤務時間のほとんどは工場内の見回りを続けており、商売の不安な点については、たえず研究を続け社の躍進に合わせて、小樽の経済発展を一途に考えている…。
小樽経済百年の百人
北海タイムス社編
昭和四十年六月十六日~昭和四十年九月二日連載
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