衰退の理由

2015年03月13日

 

CIMG7803二目 栗林の自然林

 園内の自然林栗樹は樹齢九十年から百年百五十年位の巨木であり、目通り一尺六寸から二尺以上の老樹がある。

 この栗樹地帯は積丹半島から余市、高島、小樽、朝里の各郡方面に密生した純然たる栗樹地帯であつたが、暴伐山火事等の被害のために悉(ことごと)く消滅し只園内のみ其被害を免れ残存している。

 積丹半島余別村大字神岬村の北西に突出して居る岬を神威岬と称する。

 往時は此岬から以北へは和人の永住は勿論婦女子の通行は絶対に禁止せられた。為に開拓を阻害した事は申す迄もない。然るに安政二年藩士梨本彌五郎が妻女を同伴して此岬を通過して宗谷に赴任したので二百年以来禁制の神威岬通過も自然打破せられ、古宇以南に久しく鬱積沈滞せる住民中岬北の各場所に移転する者が続出した。従って小樽方面の定住者は著しく増加し、それ等住民によつて鰊漁業は飛躍的発展を遂げた。従って鰊粕製造に要する薪材も著しく増加したのである。この頃迄小樽、余市方面の山林は鬱蒼として千古斧鉞を加えざる大自然林であった。殊に小樽、余市方面は栗樹の森林地帯であつたのである。この大樹林も小樽、余市地方の鰊漁の盛大に趣きに連れて・・・・・。

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朝里村字山の上も、昔は鬱蒼とした原始林で、鹿や熊が頻繁に出没していました。

CIMG8846熊碓の栗林

 今は跡かたも無いが、熊碓に栗の原生林があった。現在の桜町一丁目の平磯公園か東側地帯から、桜町墓地の南側へかけて量徳寺東小樽支院上部約一万坪の面積に何百本の栗の木が生い茂り林をなしていた。秋の候ともなると小樽近郷の子供や大人達まで栗拾いで賑わっていた。

 ある学者に言わせると、この栗林は学問的にみて非常に興味のある存在で、北海道の北の豊富の栗林・空知栗山の栗林・手宮公園の栗林と北海道地図の上に線を引くと、一直線に連なるものだそうだ。北海道に天然の栗が育つ地脈があるらしい。

 この栗林も戦後の昭和二五年頃、地主が造材屋に売り払い現在は住宅地になっている。

 

衰退の理由 その2~木の伐採、それも栗に代表される広葉樹の伐採ではなかったのでしょうか?と、勝手に推測しています。

CIMG9145ピンクにぬった部分が天然の栗が育つらしい地脈

『確かに一直線‼』

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CIMG9169栗山町 栗沢町

CIMG9170小樽 余市

『稚内宗谷の丘陵地帯、戦時中に木を伐採してしまったとのこと。三十数年前見た光景はササヤブが多かったなあ。(植林した木はだいぶ大きくなったかな?)利尻で見た光景は本州の森を思わせるものがありました。北海道は鬱蒼とした森だったのです。』