仲仕の話~仲仕の扱いは馬以下であった

2015年03月01日

六 仲仕の扱いは馬以下であった

 昔の船は蒸気船でしたので燃料は石炭でした。幌内から来た石炭は築港に降ろされます。それをハシケに移し、本船のバンカー(貯炭場)の中に入れる仕事が石炭仲仕の役割です。まず、ハシケに移すにはパイスケ担ぎをしなければなりません。パイスケとは天秤に大きなカゴをさげ、それに石炭を入れて担ぐことですが、二等粉炭でパイスケ一杯、十二・三貫(一貫=1000匁すなわち3.75キログラム)ありました。それを担ぐのですから初めのうちは肩の肉がそがれ、血がほとばしり出たということです。それが慣れるに従って鉄銅のような筋肉になります。そうなりますともう、天秤がしなやかにたわみ、威勢よく見えるのです。

 ハシケに、積まれた石炭は沖の本船に横づけになりますが、今度はそれをバンカーの中へ入れます。ハシケのトモとヘサキをしっかりと本船に結び、歩み板を渡します。これは高さが違うため急な勾配になりますが、そこをタネカマス(普通のカマスの二倍もあるもの)の中に石炭を入れ、バンカーに運びます。波があるときは歩み板が揺れ、落ちたならば大怪我をします。

 やっと本船にたどりつき、マンホールのふたを取り、バンカーに石炭を入れますが、すぐ入口が詰まるので一人はその中に入って石炭を奥の方へ移動させます。これが「ダンブルかき」といってたいへんな仕事です。夏の暑い時などは鉄板が焼けておりますので、鼻血を出しながら行ったということです。ドロと汗にまみれた姿は人間ではなく、まさにドブネズミでした。

 明治四十四年(一九一一年)に高架橋ができました。そこへ来た船のダンブルに石炭を入れるのですが、冬季は滑ってその中に落ち、毎年二・三人亡くなったということです。ですから家を出る時は冗談交じりに妻へ遺言を書いてくるということがありました。

 とにかく、仲仕といえば喧嘩早くて威勢の良い姿を思い浮かべますが、現実の仲の姿は、労働条件が皆無で、馬よりも悪かったということです。賃金は昭和の初期で、朝早くから夜遅くまで働いて上で一円五十銭、下で八十銭でした。「当時の仲仕に比べると、今の稼ぎ人は殿様だよ」と古老の本間吉三郎氏(七十歳)は話してくれました。

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