青山家

2017年09月25日

CIMG9323青山家番屋平面略図

 祝津は、その昔から鰊漁で栄えた、小樽近海では千石場所として名の通ったところである。

 明治初年、山形県青塚より初代嘉左ヱ門が祝津へ来て、鰊漁を経営したのが始まりといわれ、婿養子の二代目政吉氏の代に現在の建物と同じ鰊漁場全盛時の粋を凝らしたものを建てたが、大正十二年(一九二三年)の祝津の大火の際に惜しくも焼失した。 その後ただちに被災前と全く同じ状態で再建され、現在に至っているが、江別市野幌の北海道開拓記念館の方へ移築の話が出ている。聞くところによれば、移築し復元するには約一億円を要するらしい。

 祝津では漁場が浜に沿って一ヵ統につき、間口十五間に割り当てられていたというので、青山家の場合もこの十五間幅の細長い敷地に、主屋から順に土蔵、石蔵、板倉と山手の方へ、建物が連続して建てられている。この建物は木造、寄棟、平入、二階建で一回九十坪(二百八十六.八平方㍍)二階三十坪(九十九平方㍍)正面には純和風の玄関が二ヵ所並び、瓦葺入母屋屋根、シックイ塗りの煙出しが、外観をひきしめている。右側のそり破風屋根は、座敷玄関である。

 建物左側のむくり破風屋根は一般漁夫用の玄関で、入って左側が台所になっている。ここには漁夫用の寝台が匚型に回り、手摺のついた五十㌢幅の通路があって、大勢の漁夫が漁期中ここで生活していた。

 三代目民治氏も婿養子で、二代目政吉氏と同様、高島郡漁業組合長や地元の公職など歴任し祝津の名士であった。四代目馨氏の代で鰊の来遊が見られなくなったのである。

CIMG9324鰊のにおいが漂ってきそうな青山家裏の倉庫

~鰊場物語 内田五郎より~

 

 

CIMG9602間口十五間縦長の敷地 ここが

青山元場があった場所