小樽の競馬

2015年03月18日

 「どちらに行かれるんですか?」

 『手宮です、小樽を探検して歩いているんです。』

 「小樽には競馬場があったんですよ。私が生まれた年に廃止になったんですが、潮見台の上の浄水場の近くに。親父は、競馬のあった日には下駄をはいたまま、歩いて上って見に行ったということです・・・。」

 昨年10月、手宮へ向かったバスの中での会話。

『確か、その記事見たことがあるぞ。』

ようやく探すことが出来ました。

CIMG9408~おらが町内人記⑫新汐町(その四)北海タイムス社より

○小樽市議会のバク弾児川崎喜代二さんの住んでいる家は農学博士庄司力蔵さんのいたところでその後藤木由太郎が買いとりこの留守居をしながら一水会会員の金丸直衛さんは人里離れた山奥で画をかいていたものだ金丸さんの絵を育てたのはこの家だともいえる、沢をへだててこの家の向かい側にある五百羅漢円宗寺は松吉小八という人が福山羅漢堂宗円寺を此処に移したもので松前十四世章廣公が南部盛岡から勧奨した十大弟子十六羅漢五百羅漢を全部移し日露戦争戦死者の弔慰と本道開拓の偉業者松前家を記念するため明治四十二年盛大な開眼式が催された、龍徳寺の現住有田大宗師はその当時可愛らしい小僧さんであったはずだ。

○この五百羅漢の上に大正四・五年までに競馬場があった。小樽は集散貨物が多くこの輸送機関として早くから馬が使われていた。鉄道開設前には札樽間の日用品運搬は皆馬の背を借りたもので小樽では古くからこの労役に従う馬を大切にし馬の改良を計る目的で旧五月節句に競馬を行う行事があった。最初は汐見台小学校前が馬場で海岸まで走る例であったという、明治十二年に大隈重信大蔵卿が来樽したときには住吉神社前で競馬を行い、大隈さんは量徳学校の二階の窓からこれを見たというから小樽の競馬は北海道でもっとも古い歴史を持っているわけだ。

 

CIMG0269大隈さんが見た時のコースはこの通りだったのではないでしょうか

 

~2015.3.18より~