小樽競馬場

2015年03月19日

○この競馬場も一後中止されていたが、大正二年頃には荷物運搬に使われる馬が千二百頭以上もいたので愛馬思想の鼓吹と馬匹改良を促すために競馬会を作ろうということになりその年の十一月資本金一万円株式会社競馬会を設立、春秋二期に競馬を行うことになつてこの五百羅漢上の競馬場が出来たものらしい、馬は小樽発展のために大きな役割を果たしたということを忘れてはならない。銭函競馬場設置の時にも市や自由党の長老松川氏などが首を振って手出ししなかったのに小樽発展のためなら一役買おうといつて物好きにでてきたのが馬車労力請負の親方見延庄一郎市議であったことを思い合せると小樽競馬場と労役馬が回る小車の因縁の糸につながっているような気がする。

○見延さんの先代も汐見台で苦労した人庄一郎市議が上級学校へ進みたいというのに馬車屋の子は馬追いになれと高等小学校をおろしてマグサ切りの手伝いをさせた、多感な少年庄一郎さんは馬小屋の片隅で金ボタンをつけて中学校へ通う友達の姿を思い浮かべながらマグサを切っていた時彼はうっかり自分の指を切ってしまった、見延さんの人差し指は今でも第一関節から先が十六の年この無慈悲?な父親に死なれた彼は先の無い人差し指を片手で抑え“指先なくした稼業をおれは必ず守り通すぞ”とけっしんしたものだ、

今ではこの短い指で尺八の穴を押さえ容?と号し琴古留(免許皆伝)、野球をやれば三塁を守って線を引くような投球と言いたいが実はマウンテンボール、時々指をひつかけて暴投もするが軟式野球連盟の会長北海道連盟を作りあげておれは運搬業より外にしないとうそぶいている

CIMG9407~おらが町内人記⑫ 新汐町(その5) 北海タイムス社より

CIMG6595昨年10月15日

CIMG6596潮見台から

CIMG6597五百羅漢

CIMG6598月浦山宗圓寺の前を通り

CIMG6599さらに登って

CIMG6603うやく

CIMG6604いたのが

CIMG6605CIMG6606潮見台浄水場

CIMG6610近くにはドックランが出来るところもあるとの事でした

この辺りに競馬場があったのでしょう。

帰り道、さらに先へ進むと。

CIMG6612進入禁止の空き地が

以前、何かに利用されていた跡のよう。

『競馬の調教?』

由緒あるような建物も・・・。

CIMG6614この道が

CIMG6615定山渓へ、国内初の有料道路へ

CIMG6616繋がっていた道だったのでしょう きっと

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CIMG6628望洋台

 

 

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~2015.3.19より~