青山家別邸(現 「中根家別荘」=祝津3)

2015年03月30日

 CIMG9561 青山家別邸 下 明治をしのばせるいろりの部屋

 北国の季節の遅れをよそに、祝津はいま太陽の光にみちあふれている。庭にそびえるマツの木の枝ごしに、海を見渡すと、湘南か伊豆あたりにいるような感じがする。

 祝津の網元、青山政吉が、妾宅(しょうたく)として建てたという。ために、徹底的な遊び心で、意匠が凝らされている。各部屋ごとに床の間があり、廊下は人が通ると音を立てる鳴き廊下、なげしや床は、ケヤキのうるし塗りだ。

 五十人からの芸者が人力車を乗りつけ、しばしば大宴会が催された。完成したのは大正十二年。ニシンがどこかへ行ってしまうなどとは、客らに酒をふるまう網元は、夢にも思わなかったろう。

 現所有者の旭川の医師、中根幸雄(五三)が、青山家から買い取ったのは、高度経済成長のかげりの見えた四十八年だった。

 「道民の一人として古い建物を守りたい。」と考えた中根は、解体して周辺の観光開発をもくろむ業者との間で競争入札を行った末、手に入れた。

 中根家の別荘として使われ、夏は、海水浴を楽しむ家族や友人が泊まり込んでいた。しかし、冬場はだれもいなくなり、老朽化が進行。建物へのいたずらも相次いだため、五十六年、思いきって敷地内にペンションをオープンさせ、管理することになった。

 中根の妻の貞子(五〇)が、シーズン中は、旭川と小樽を往復して、慣れないペンション経営に打ち込んでいる。

 「維持費は予想したよりずっとかかるし、ペンションだって利益が出るまではなかなか・・・・・。女房には頭が上がりません。けれど、こうなった以上、頑張り続けてみようと思っているんです」と中根。

 ペンションには、道外客が六割。従業員の川端見枝子(三八)は、必ず泊まり客を案内することにしている。

 「こんな立派な家は京都にもないと驚く人もいます。ニシン群来って本当のことなんだねーとよく言われます。

~おたる遺構再発見 読売新聞社編 (昭和60年5月1日~6月20日連載)より

 

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CIMG9612八仙人の絵が描かれた火鉢も

天井の巾広の神代杉(幅三尺~約90㌢)

欄間の細工が春慶塗りの柱と見事な調和

 

 旧青山別邸とは

 青山家は明治大正を通じ鰊漁で巨万の富を築きました。その三代目娘政恵が十七歳の時、山形県酒田市にある本間邸に魅せられ大正六年から六年半余りの歳月をかけ建てた別荘が青山別邸です。昭和60年小樽市寄り歴史的建造物第三号に指定されました。約1500坪の敷地内に木造二階建てで建坪は190坪。家屋の中は6畳~15畳の部屋が18室、それぞれ趣きが異なり、金に糸目をつけず建てられた豪邸です。

 ちなみにこの旧青山別邸の建築費は31万円。当時、新宿の有名デパートの建築費が50万ほどといいますから、この別荘の豪邸ぶりがおわかり頂けると思います。

~小樽 祝津 たなげ会ホームページより