日本郵船小史3~(三)日本郵船の操業時代(明治18年ー30年)その2

2015年09月05日

三菱会社定期航路は東京・函館線、函館・小樽線、函館・青森線、函館・根室線と皆函館を終起点とし、函館より更に小樽及びその他の諸港に航路を設け、函館は本道の海産物と本州府県の物資の仲継港とし繁栄したが、当社の神戸・小樽線の毎週一回の定期航路開設により、小樽、岩内、古平、余市等の貨物は漸次小樽に移り、本州府県と小樽と直接取引が多くなり、臨時配船がなされた。更に根室丸(1950G/t)及び小蒸気船就航の小樽・宗谷線及び21年(1888年)同町の補助を得て開設した月3回の増毛・小樽線により天塩、北見諸港との取引は便利となり、小樽港は奥地経済開発の基地となり、又商港として後年函館港を凌駕する地位を占める素地となつた。

千島航路は冬季航海途絶し千島諸島の食糧欠乏するため、北海道庁は補助金を出して試航者を募つたが、応募者がなかつたので、当社に対し花咲港/択捉島単冠湾(ヒトカツプ)の冬季航海を交渉した。当社は損益に不拘就航せんとして補助金1300円を以て明治25年(1892年)2月播磨丸(677G/t)にて試航し、引継き就航した。根室はオホーツク沿岸地区並びに千島諸島の中心基地となり、海産物の一大集散地として大正末期頃まで釧路を凌ぐ慇懃を示した。(※1)

明治22年(1889年)に北海道炭礦鉄道が幌内・幾春別・空知・夕張・美唄の諸炭山の採掘販売と拓殖推進のための鉄道敷設の目的を以て設立せられ、明治25年(1892年)7月室蘭・岩見沢間の鉄道を開設した。これにより従来小樽より積出された石炭は室蘭よりも積出され、北海道炭礦鉄道会社石炭の海上輸送は当社が一手に引受けた。北海道の石炭は北炭と日本郵船によって開発に着手された訳である。

室蘭・岩見沢間鉄道開通により札幌、室蘭の連絡が成り、当社は本鉄道と連絡する目的を以て26年2月に室蘭に出張所を設け、青森・函館定期航路を室蘭に延長する三港定期航路を開設した。これにより室蘭はそれ迄札幌本道の室蘭・森海上交通の一要津に過ぎなかつたが、札幌と本道奥地の旅客は同地を経由し、産物も室蘭より青森方面に直輸送する道が開かれ、商港としての室蘭発展を助長した。(本航路の開設により室蘭・森航路を廃止した。)(※2)

IMG_0572※1 『根室を訪れた際、地元にず~っと住んでいる方の言葉「以前は、毛ガニなんて食べないで、捨てていたんだからね。カニはやはり、花咲だよ。割り箸でつっついて身を取りだし、汁も飲むんだよ。」~本当に美味しかったです。今では考えられないような、豊かな時代があったんです。歯舞、色丹、国後、択捉は、日本人が生活を営んでいた土地なのです。』

 

IMG_0570※2 『私としては、森・室蘭間を道路で結んでほしかったなあ!』