中央水産試験場と藤村信吉

2015年05月14日

CIMG0019小樽水産高校の第二代・四代校長も

 藤村信吉は和歌山県に生まれた。横浜税関時代、米国宣教師より音楽と英会話を学び、国際人としての素養をいち早く身につけた。明治21年札幌農学校を卒業。彼はここで水産学を学ぶ。その後道庁水産課に勤務し、サケ・マスのふ化に尽力することになる。彼の信念は実を結び、千歳ふ化場建設、及びその事業は大成功を収め、明治26年には阿寒湖から支笏湖へのヒメマスの移殖にも成功した。

 このような経緯から、明治35年には北海道水産試験場長の要職についた。しかし周囲に熱望され、再びふ化場に戻り、国内の水産事業を海外に紹介するなど辣腕を遺憾なく発揮、その振興に貢献した。また明治38年には、道内で唯一であった小樽水産高校の第二・四代校長としても活躍、通算20年間その職を務めた。

 「自重を以って精神とせよ」と残した信吉は、本道水産業の発展を語る上で欠かすことのできない人物である。

 太平洋、日本海、オホーツク海と四方を海に囲まれた最北の地北海道は、その豊富な水産資源から水産基地の要地として注目され、その中で道立水産試験場は極めて必然的に誕生した。

 明治34年、当場は地方費をもって現在の高島に創設され“高島本場”と呼ばれた。

 約90年の間、体制は幾多の変遷を経てきた。明治43年には国費に移管され、昭和25年には国立と道立に二分した。道立5水試という現体制が確立したのは同39年のことである。また同47年には栽培漁業総合センターも設立された。

 この間の同6年、当場は“北海道水産試験場本場”として、高島から余市町へ移転、現在に至っている。

 道内の水産業は、古くはニシン、サケ、マスの主産地として賑わいをみせ、近年は水産規制や環境問題などによる転換期が訪れている。そうした状況の中、老築化した現在の建物は近く解体される予定である。

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 ~おたる 歴史への誘い

月刊ラブ おたる 平成2年4月号~4年12月号より

CIMG0424平成7年に出来た現在の建物

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ニシンのコーナー

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CIMG0432いつも通っている熊碓の浜での群来の様子

CIMG0434海草にビッシリ産み付けられたニシンのたまご

CIMG0440初めて入りましたが、楽しいスポットです