小樽公園入口 〈今昔〉

2020年04月29日

CIMG0171大正末期から昭和初期にかけての公園入口

日本髪の和服姿に昔の情緒偲ばれる。

CIMG0172平成2年の公園入口

アスファルト化された地面から土の温もりが消えている。

 

 小樽公園設立以前その地は、国有未開地に属していた。雑木笹密生し、熊、狐、狸の巣窟であったが小樽港の開発に伴って公園設立の必要を生し、時の小樽郡外6郡各町総代より未開地を遊園地として貸下又は払下の出願をして明治24年より26年に至って払下の許可指令を受ける。明治33年5月29日、花園公園と改称し、公園としての設立をみる。大正4年小樽町各番地改正の際小樽公園と称せられる。総面積84,433坪を有し、交通は馬車・自動車が用いられた。

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 小樽区の時代、公園は区の中央にある為、主として石山以東の区民に利用されていた。桜木は其他の花々が妍を競い桜丘球場の所は八重桜と一面の花壇で家族連れや慰安の憩の場としてもてはやされた。春は各種運動会や花見で一大楽園の地であった。

(小樽公園史より抜粋)

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 明治30年公園内にある公園事務所と花園町との間に正面道路(延長339間巾8門)を開鑿した。この道路敷地中には浅羽靖の住宅があり萬公園の花園もあり、渡辺兵四郎の宅地も其一部であった。(小樽公園誌より抜粋)

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 当時の公園利用状況を調べてみると春季25万人、夏季20万人、秋季10万人、冬季8万人、計年間63万人となっている。

 右上写真に見る道行く人々の服装・髪型が時代の移りゆく様を感じさせてくれる。整理され文明化された現在の写真と比較して当時の写真に情緒と潤いを見るのは私だけだろうか。

~おたる 歴史への誘い

月刊ラブ おたる 平成2年4月号~4年12月号連載より

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~2015.5.12より~