『小樽の橋が語るもの』

2015年06月22日

 昔、小樽の川には多くの橋があり、往く人、戻る人それぞれは橋に思い出を残したことであろう。

 今も川はあるが、いくつかは暗渠(あんきょ)になって橋も姿を消してしまった。

 減ったといっても、現在小樽(蘭島~銭函を含め)にある国道には18、道道には23、市道には124、合計165の橋がある(平成2年1月現在)。

 その橋には、地名そのものの名称もあるが、私がみて面白いと思った名の橋をあげてみたい。※()内は町名

 仲の橋(銭函1)、くるみ橋(朝里川温泉)、若竹人道橋(若竹)、保木の橋、上の橋、清美橋(奥沢1、2、4)清川橋(天神2)、睦橋、千歳橋(緑3、4)、京橋(松ヶ枝1)、初音橋(花園5)、病院通橋(東雲)、三ツ目葉氏(幸2)、七軒橋(桃内1)啓芳橋、ツルカケ橋、寺前橋、上野橋、鶯橋(塩谷1、2、4)曙橋、旭寿橋、餅屋橋(蘭島1,2)……。

 郷土史上の地名に関連しては、小樽内川橋、ポンナイ川橋(銭函3、4)などがある。また、繁栄のかけ橋となることを願ってか、栄橋という同名の橋が奥沢と朝里川温泉にある。

 市内の中心部にある妙見川には高島橋があるが、昔は川の南側が小樽区、北川が高島郡であったので、その名も不思議ではない。

 緑2丁目から松ヶ枝に向かうところに洗心橋があるが、以前は羽衣町、弁天町、京町、柳町という情緒のある町名あたりに遊郭(ゆうかく)があった。この橋はそこに通じる橋でもあった。心を洗うためにこの橋を渡ったのか、心を洗って帰る橋だったのか、また、この川の上には洗心橋に続いて、後楽橋、安楽橋があるが、この橋の意味に関連があるのだろうか。葬斎場に行く道でもある。

 龍宮神社があって龍宮通り、龍宮橋がある。浅草寺があって浅草通り、浅草橋があるが、龍宮や浅草という橋の名称だけみると情感がある。また、小樽駅の横に急な坂(船見坂)があり、港の見える橋が船見橋というのもいい。

 小樽の橋の歴史は古い。安政2年(1855年)には銭函川に木製を架設、安政4年(1857年)にオコバチ川に木橋架設という記録が残っている。

 現在まで135年間に、いろいろな人が橋を渡ったが、次頁の写真をみて当時の小樽を想像していただきたい。

 いま、思い浮かんでくるのは、昭和36年に中曾根美樹が歌った「川は流れる」という調べである。

   ▷   ◁

病葉(わくらば)を 今日も浮かべて

街の谷 川は流れる

ささやかな 望み破れて

哀しみに 染まる瞳に

黄昏の 水のまぶしさ

 

思い出の 橋のたもとに

錆びついた 夢のかずかず

ある人は 心つめたく

ある人は 好きで別れて

吹きぬける 風に泣いてる

 

IMG_0006川端柳の風情のある妙見川にはいくつもの橋があった

IMG_0007紅葉橋~緑一丁目より現在の市民会館、公会堂に向かうところ(昭和10年代の今の形の橋より以前のもの

IMG_0008浅草橋~産業会館前より富岡に向かう(前方にみえるのが浅草寺)

IMG_0009中央橋より港を望む(小樽駅前より港に向かう)

IMG_0010妙見川の通り(現在の寿司屋通り)左の建物は映画を上映した神田館、中央にみえるのがみえるのが東雲町の小樽俱楽部の建物。

~小樽市史軟解 第1巻 岩坂 桂二

月刊ラブおたる 平成元年5月~3年10月号連載より

CIMG0561

CIMG0562