五楽園

2015年06月10日

IMG_0058すみずみまで大変な金がかかっている五楽園

~土台もヒノキ材 金に糸目をつけぬ建て物~

 明治三十年代から大正の初期にかけ金沢植物園というのがあった。富岡一丁目付近は、今でこそ密集した住宅街になっているが、当時は広漠とした原野。ここに個人経営の植物園を作り中に動物園も併設していたそうだ。

 金沢という人物に関する記録が市史編さん室にもないので、名前もはっきりしないが、持ち船もあったというから、海産関係の仕事をしていたらしい。当時のいわゆる成金で、金の指輪をたもとにざくざく詰めて、宴会でバラまき芸者に拾わせたという逸話も残っている。

 この金沢という人が最盛期に建てた私邸が今の五楽園で、明治三十二年ごろの建て物らしい。いま残っているのは、むね続きの洋館と本館と赤レンガの蔵だけで、建て坪も三百三十平方㍍余りだが、金に糸目をつけないで建てただけに、目につかないところに大変な金がかかっている。

 金沢さんは没落してこの建て物は敷き地とともに大正十一年奥山富作さんが買い取り、昭和十二年現在の持ち主岡田与一さんに売っている。富作さんの長男奥山孝さん=小樽商高信組監査役=の話によると、材料はすべて石川県から船で運び込んだものらしい。

 土台はヒノキ、縁側は厚さ五㌢もあるスギの一枚板、縁側の土台には直径一㍍もありそうなスギ丸太、八畳間の天井は、赤スギと神代スギを交互にたった三枚の板で張っている。縁の下は吹き抜けになっており、六十年以上たっているはずなのに土台は腐りもせず建てつけは全然狂っていないそうだ。

 また、フスマは金ぱく(箔)の上に絵絹をはってあったといいフスマ一枚でも今作ると数万円はかかるという豪勢さだったという。現在は洋館の部分がマージャン荘として一般に開放されている。

 建て主の金沢さんは、落ちぶれて最後は、昔使っていた函館の植木屋のところで居候し、数奇な一生を終わったというが、この建て物にも波乱に富んださまざまな人間の歴史がしみ込んでいるような気がする。

~小樽の建築 北海タイムス

昭和43年7月24日~8月11日連載より