明治・大正の小樽をみる(その8)~中学校や女学校

2015年09月13日

 IMG_0009A 明治期における庁立小樽高等女学校

 写真Aは、庁立小樽高等女学校で明治期撮影のものである。 1906年(明治39年)第1回入学生は1学年、2学年共50人で、校舎の竣工まで花園小学校の校舎の一部を使用してスタートした。写真の新校舎が竣工して生徒が移転したのは1908年(明治41年)である。

 この学校は、翌42年に第1回卒業生を出した名門校の一つである。現在、この庁立高女は桜陽高校になっているが、場所は今の菁園中学校のところにあった。

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 IMG_0010B 明治期における庁立小樽中学校

 写真Bは、庁立小樽中学校で同じく明治期に撮影されたものである。この学校が開設されたのは1902年(明治35年)で1学年150人、2学年32人の入学開校式は量徳小学校を借りて行なったが、仮校舎は竜徳町にあった劇場星川座で、ここで授業を開始している。

 1953年(昭和28年)刊行された「潮陵五十年史」には当時のことが詳し記述されている。

 写真の校舎は、1908年(明治41年)に竣工されたものである。この庁立小樽中学校は現在、潮陵高校として、その伝統を引継いでいる。

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IMG_0011C 同じく庁立小樽水産学校

 写真Cは、庁立小樽水産学校(現在の水産高校)で、この写真も明治期に撮影されたものである。明治30年代全国的に実業教育が盛んになったが、小樽でも日露戦争後に水産学校が設立された。1905年(明治38年)生徒40人と共に開校式と謬学識を行なった。翌年には、若竹町に新校舎の工事を起した。そして修業年限を3カ年から4カ年に延長し、生徒の定員も230人に増加した。

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 写真は掲載していないが、名門校の一つとして庁立小樽商業学校(現商業高)がある。

 1912年(大正元年)に設置の許可を得て、甲種商業学校として予科2年、本科3年の5カ年課程でスタートしたが、1学年の定員は100人であった。

 この学校は、既設の私立小樽商業学校(北海商業の前身)があり、校名も同じであったため、この樽商に対し庁商と略称された。

 北照の前身である小樽商業学校は、1901年(明治34年)に設立許可を受け、翌年に花園町で開校している。

 その他、1907年(明治40年)には、小樽双葉高等女学校(小樽実科高等学校)、1912年(明治45年)に小樽女子職業学校(緑ヶ丘高等女学校)が開設されるなど、明治時代における小樽の教育熱の高まりは大きなものがあった。

~小樽市史軟解 4 岩坂桂二

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