三田商店小樽出張所

2016年05月23日

CIMG0705正面はかなり変ぼうしたが七十年たった石造りの永久建築だ

~石造りの不燃 当時は三階建て~

 この建て物は佐々木銃砲店社長佐々木勇三(六九)の祖父孝養さんが建てたもので、新築間もないこの家で佐々木さんが生まれたというから、ざっと七十年たっているわけだ。

 孝養さんは明治十九年、小樽では初めて火薬を扱う商売を始めたが、当時炭鉱でハッパに使う火薬を一手に引き受けていたので、商売は大繁盛したそうだ。

 明治三十一年の春、花火を製造中火事になり、それを機会に不燃建築ということで石造住宅を建てたわけだ。場所は入船一丁目五で、明治三十二年春完成した。

 孝養さんは山形県鶴岡市の出身だったので、大工さんはもちろん材料も故郷の山形から船で運び込んだそうだ。現在は二階建てトタンぶきになっているが、できた当時は石造三階建て、道路から入口まで四段ぐらいの階段があり、二階にはバルコニー、三階に明りとりの窓もついて、屋根はカワラぶきという超モダンな建て物だった。当時入船町に石造建築は四つぐらいしかなかったという。

 『土台がかなり高く、半地下式になっていて、そのころ鶏は観賞用で、冬の間メンドリだけ入れて置いたのに卵を産んだというのでかなり話題になったこともあります。また店の中は裁判官席のように一段高くなっていて、お客には“売ってつかわす”といった式で鉄砲なんかも売っていたようで、今考えるとウソみたいな話ですがね』と勇さんと幼年時代を過ごしたあの家をなつかしむ。

 佐々木さんの店は道内の火薬をほとんど一手に引き受けて利益を得ていたので、大手業者から目をつけられ、明治四十五年倒産に追い込まれ、店舗兼用のこの住宅も三田商店の手に渡ったのだという。

~小樽の建築 北海タイムス

昭和43年7月24日~8月11日より