精周寺

2019年07月14日

IMG_0069八十年の歴史を刻む精周寺

~刻む歴史八十年 潮見台から現在地に~

 明治四年ごろ山形県東田郡大日坊というお寺の住職、大網精周という人が、小樽、岩見沢、函館、江差と道内に四ヵ寺を建てたが、筆頭寺院が小樽で、その住職の名をそのままつけて精周寺にしたという。

 最初はコンタン町(信香町)で布教所のような小さな寺だったらしいが、明治十九年潮見台に本格的な寺院を作って移転した。 ところが二十年ほどたってその敷き地が道路用地として買収されることに決まり、建て物を取りこわし、そっくりそのまま現在の最上二丁目に移した。明治四十二年のことだから移転してからでもざっと六十年、土台やハリなどおもな材料は八十年以上たっているわけだ。

 精周寺に残された記録によると移転には馬車六十台を使って運搬したが、道庁からでた移転費は当時三千円、組み立て費を含めた移転料の実費は千五百円だった。

 本堂とクリ合わせて五六一〇平方㍍、クリは最近改築したばかりだから本堂だけが八十年の歴史を刻んでいるわけ。

 外見はいかにも古めかしいが、石材の土台や柱ががっちりしているせいか、本堂の内部は全然いたんでいない。

 本尊の大日如来は山形県の酒田港から船で運んできたそうだがクスノキの木彫りで高さ約三㍍、金ぱく(箔)塗りの荘厳なもの。タモの丸柱、欄間には唐草模様の彫刻が施してあり、さすがに年代ものという感じがあふれている。

 六十年以上もたっているのに、ほとんど狂いのない秘密について同寺の住職、水原竜現さんは『高い床に幅約一・八㍍、高さ三〇㌢ぐらいの換気孔が十ヵ所ぐらいついていて、夏の間半年は開放し、空気の流通をうんとよくしているせいでしょう』といっている。

 約七千平方㍍の広い古い庭によくマッチした由緒あるお寺である。

~小樽の建築 北海タイムス

昭和43年7月24日~8月11日より