宮沢邸(小樽市富岡一丁目)

2023年07月01日

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~地味な色調の洋館~

 スッキリした洋館事務所を持つ建物である。母屋は、小樽建築界の雄、大虎加藤忠五郎が建て、次男進六の住いとした。

 忠五郎は安政三年(一八五六年)越後(新潟県)三島郡で代々仏師(仏像作り)を営む「和泉屋」の生まれ。十三歳で父虎五郎に死なれ、和泉屋は没落。明治九年(一八七六年)上京し、建築の腕をみがいた。同十四年、一転して来樽し、稲穂で建築請負業大虎組を興した。男気に富んだ人柄で職人に慕われ、最盛期には百人以上の職人を抱え、一日四斗(約六十㌔)の米を消費したという。小樽の古い大工さんに新潟県出身者が多いのも、大虎の存在がその一因だと思われる。

 忠五郎には忠三、進六の子がいたが、長男忠三は生来体が丈夫ではなく、「和泉屋」を名乗り、小間物屋や銘木店を営んだ。大虎を継いだのは弟進六で、のち札幌に進出したが事業の失敗もあり、直系の大虎組は消失した。

 大虎が手がけたもので現存する建物は、市公会堂、能楽堂、中央バス本社(旧北海道銀行)、私邸では板谷、名取(いずれも東雲町)の両邸などが代表的なものであろう。いまは無いが富岡の金子邸もそうであった。

 大正七年(一九一八年)この建物を弁護士の秋山常吉が買い取った。秋山は四国愛媛の出身で中央法学院(現中央大学)を出て、東京の弁護士岸清一の事務所を経て明治末ごろ来樽し、花園で開業した。市会議員、道会議員として政治にも参画した。

 宮沢純雄氏は小樽の出身で七十一歳。昭和五年、二十四歳のときから秋山の事務所に務め、腕、人柄を見込まれ、娘婿に迎えられ、事務所を引継いだ。

 母屋は昔の面影はあまり残っていないが、大正十三年(一九二四年)に建てられた洋館の事務所はほとんど手を加えられていない。色合いも地味だが、それだけに落ち着いたふん囲気を持っている。

~小樽・ひとと建物 北海道新聞

絵と文 今村 敏明

昭和54年4月27日~5月18日連載より

CIMG0330大虎 加藤忠五郎が手がけた建築物だったんだ

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 朝早く、海へ出かけました。

海岸を歩いていると黒い鳥が横たわっていました。

『弱肉強食、テンやきつねに襲われたのかな?』

その先へ進むと、突然、バシャッ!

『えっ、眠っていただけ。』

海の中へ泳いで行きました。

『朝寝坊の鳥もいるんだ。それにしてもよく襲われなかったなあ。』

CIMG0856羽をひろげて休む 鵜

捕まえて 鵜飼いをすればよかったあ~

 

~2015.6.11