市制になったころの小樽(その2)~手宮の裡町通りの商店街 42

2019年12月31日

 紫雲に風なぎて あこがれ望みし我胸の 今暁の光得て 手に得し理想の自治の市

 文化けんらん雲を縫ひ 自治燈いよいよ光あり 自信の旗をひるがへし 北斗の誇りぞ大小樽

 この歌は大正11年、小樽が市制施行した8月に行なわれた旗行列のときなどに合唱された市制祝賀の歌であるが、折を見て作詞、作曲者を調べてみたいと思っている

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 市制施行の記念式典や、旗行列の行事などについては前号で紹介したとおりである。

 この年の9月には、第1艦隊旗艦「長門」以下44隻がオタルに入港し、大勢の人たちの見学でにぎわった。

 そして10月には、市になって初めての市議会議員の選挙が行われた。1級議員、2級議員の合計定数は現在と同じ36人であった。これに対し立候補者数59人。1級議員候補は公正派、革新派、中立派。2級議員は政友会、憲政会、中立という所属名を使っている。

 選挙運動の演説会場は主として映画館であったが、外では陣笠姿の運動員や、車にはお祭りのようなちょうちんをつけるなど演出を凝らし、白熱したものであったという。

  当選者の中には河原直孝、寿原重太郎、秋山常吉、岡崎謙氏などの名士も選出されている。中には開票前夜に当選確実とみて大大的に祝宴を挙げた候補が落選したり、得票が1票という候補もいた。

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 市制施行は8月であるが、区制最終の7月には皇太子殿下(昭和天皇)が御召列車開拓使号にご乗車になりオタルを行啓されている。港内や手宮洞くつ、工場、高商(現商大)などを視察されたが、その折にかいさいされた奉迎ちょうちん行列は全区民あげての盛大なものだったと記録されている。

 また、同月には日本蓄音器商会主催の三浦環(オペラ)演奏会が電気館で開催されたが、聴衆が会場にあふれて、急きょ日延べしている。入場料は白券5円、青券3円、赤券(学生)1円であった。なお、このころはコーヒー10銭、駅弁20銭、ビール39銭の時代であった。

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 当時の町並みの一部として、次頁写真Aを紹介したい。

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 これは手宮裡町通りの商店街(現在の錦町9.10番あたり)である。裡町とは古くから手宮の区域にあったが、明治14年ころより同町の背面一帯を裡町と称していた。

 右の店は〇キ松屋で小間物、衣料、化粧品などを売っていた。店の前にある四角の郵便ポストも興味をひく。その隣の店はお菓子屋さんである。

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 写真Bの右は、そのころ子どもに親しまれた人形で、その名も文化人形という。腹を押すと泣声が出るし、長い脚には木くずが入っている。

 左はセルロイドのキューピーさんで、この二つは私の家に飾っているものである。

 写真Cは、大正11年に洋酒の寿屋(のちのサントリー株式会社)が出したポスターで、当時有名になったものの一つである。

~HISTORY PLAZA 42

小樽市史軟解 第2巻 岩坂 桂二

月刊ラブおたる 平成3年11月~5年10月号連載より

 

『良い、お年をお迎えください。』