大正5年の小樽(その2)~サクラビール

2016年12月29日

 大正時代の職業名の中で、旅人宿、西洋洗濯業、牛乳搾取業、紋書業、楽種業、家具師、写真師、葬具屋、玉突場、四十物(あいもの)商などの表現は面白い。

 今回は、大正5年の花園町公園通りにあった店を述べてみたい。

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 大正3年発行の「小樽」の著者である棟方虎夫はその書の中で、花を園生(そのぶ)の新街として花園町について、次のように記している。

 『場所は往来繁き花園町__時は遊子の袖を曳かんず、春は四月の末つかた。飲みこんだ江戸っ子気前の生粋に、永年鍛え冴えにし手腕、愛嬌ふりまく夫婦共々寝食を忘れての働きが、顧客益々殖えて手狭を感じ、現在の場所に引移っていよいよ評判の声高く……。』

 これは今日の花園1丁目から4丁目にかけての店を表したものである。

 今でも、年配の人の語りぐさとなっているが、あそこの何々の味は有名だったとか、よく出向いたことなど聞かされることがある。

 洋食・和食共にその店それぞれ特色のあるものを出していた。またベーカリーや喫茶店なども親しまれた店が多く、その意味でのこの公園通りは街のオアシスでもあった。

 公園館(今の中劇)という劇場もあって賑いをみせた。日暮れになると、道路わきには露店が並び大勢の人を呼んだものである。

 IMG_0452A・大正時代の花園公園通り(花園十字街より水天宮を望む)。左の建物がビアホールの櫻倶楽部で、2階上に天明が大きく広告されている。右は肉屋さん(現在のフレンドパチンコ店)。その後方に公園館(現在の中劇)が見える。

IMG_0453B・大正五年、ビアホール・櫻倶楽部の開店広告。

IMG_0454C・同年6月、サクラビール小樽販売店が出した新聞謹告で、縦16㌢、横24㌢の大きなものだが、その文体にも時代が感じられる。

~小樽市史軟解 第2巻 月刊ラブおたる

岩坂 桂二

平成3年11月号~5年10月号より

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それとも

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