小樽稲穂女子高等小学校の織姫

2015年08月05日

 平成2年、私は北海道新聞の「朝の食卓」を執筆した。その中で小樽の稲穂女子高等小学校の伝統あるマス・ゲーム「織姫」のことを書いたところ、当時これに参加した卒業生の新聞投書が2回、また私の所に多数の手紙が届いた。

 級会で歌うので楽譜がほしいなどという問い合わせが今でも続いている。

 運動会のマス・ゲームは、各校共に特色があったが、女子の場合、特に量徳女子の「美しき天然」や、赤十字の博愛を讃えた「婦人従軍歌」と稲穂女子の「織姫」はその流れに哀調と余韻の残る美しいものだった。

 今回は「織姫」について別の角度から述べてみたいが、歌詞は次のとおりである。

  今朝 秋風に立ち初(そ)めて

  機能にかわる 露けさよ

  み空は 藍の色深く

  流れも高し 天の川

 

  渡る雁(かりがね) ほそみえて

  早星間(はやほしあい)の 妖神(ようちがみ)

  聞けばなつかし 織姫の

  筬(おさ)に調ぶる 歌の声

 

  波や立つらん 天の川

  流れて落る 桐一葉

  星の光の 機(はた)の緒(を)に

  調べは遠き 虫の声

 

 筬(おさ)とは、たて糸の位置を定める附属具。機(はた)は布地を織る機械。緒(を)は細ひもをながくつづるもの。

 この歌の作詞・作曲者を知っている方は教えていただきたい。 マス・ゲームの織姫たちは、このむずかしい歌詞をよく覚えたものだ。調べは楽譜ではなく、先生の弾くオルガンだけで覚えたという。

 小樽の小学校連合運動会は、明治28年から昭和18年ころまで続いたものである。参加校は、小樽公園グランドまでラッパを吹きながら区中行進や市中行進をしたことも有名である。

 稲女は明治34年の開校で「織姫」は以後、連合運動会のフィナーレにみせたものであるが、それが終わった後、なぜか小雨を呼んだという。

 次頁の写真は、大正時代の「織姫」の絵ハガキで、第29回小樽区小学校連合連合運動会(稲女)織姫と印刷されている。

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 歌詞を教えてくださったのは、現在市内桜町に住んでいる牧田節さんであった。牧田さんは織姫の参加者で、舞の略図や、布地の長いテープまで送っていただいたことに感謝している。

 曲を採譜して送ってくださった方は2人いる。小樽プレクトラム・ソサエティの酒井正忠さんと、稲穂小を通して松ヶ枝に住む稲女卒の長堀真礼さんである。

 ここに掲載したものは、酒井さんが稲女出身の姉から聴いて採譜したものである。歌詞も1番と2・3晩を混同して記憶している人、あるいは一小節だけより覚えていないが、その部分だけ、今でも時々歌っているという手紙もあった。

 「織姫」がこの連合運動会から姿を消してから50年近くなる。いま、手が不自由なので娘さんに代筆してもらって書いたという織姫の思い出話。あるいは、なつかしくて札幌と東京にいる姉妹がその調べを電話で歌い合ったという手紙もあった。「織姫」は単なる残照ではなく、今でも人々の心に生きていることを改めて知った。

 後志にある恩船の経営者も稲女卒で、絵ハガキの写しと歌詞を郵送してあげたところ、何回も思い出を記した手紙を寄せてくれた。この方は昨年亡くなられたが、毎日歌っていたという。「織姫」を口ずさみながら天の川に昇って行ったと思うと感無量である。

 このマス・ゲームに限らず、人それぞれの心の中にある「回想の世界」をいつまでも持ち続け、それを次代に伝えていきたい。

 その意味で、明治・大正・昭和と続いた本市の連合運動会とフィナーレを飾った稲女の「織姫」は郷土史に残していきたいものである。

IMG_0455大正時代における稲女の「織姫」

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IMG_0457織姫の楽譜

~小樽市史軟解 第2巻 月刊ラブおたる

岩坂 桂二

平成3年11月号~5年10月号連載より