古い写真に見る小樽の神社

2015年07月15日

 

 小樽は北海道の中でも歴史のあるマチである。市内にある神社も松前藩時代に創設せれたものが多い。例えば住吉神社は元禄元年(1688年)である。

 小樽市史によれば「初め山ノ上町に社殿を建設し厳島神社と称し、文久年間墨江神社と改称、明治4年山之上弁天境内から量徳町(現在の双葉女子学園周辺)に移転、明治8年郷社に列せられた。明治14年大火直後ー現地に移り、明治25年住吉神社と改称、明治31年7月本殿の改築落成、同年9月拝殿新築完成した。境内9200坪に増加し、同30年県社に昇格したー」と記されている。 このほか小樽の神社は享保、安永、享和、文化、天保、安政、文久、嘉永年間というように元禄元年の1688年から嘉永年間の終わりの1854年までに多くの神社が創設されている。各神社については小樽市史第1巻と第3巻に記されているのでここでは省略したい。

 この頁と次頁に紹介する神社の写真は北海道神職会小樽地方会が発行した「小樽市鎮座神社絵葉書」の6枚である。大正末期か昭和初期の同時期に撮影したものと思われるが、現在とは多少異なっているかもしれない。例えば龍宮神社の神殿は現在この位置ではない。

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 神社と区民、市民とのかかわりは昔から深いものがある。ニシンが大漁となると祭礼が行なわれたり、商業経営が成功すると神社に灯ろうを献じたりしているが、その灯ろうはいまでも参道に残っている。また区や市で何かの記念式典があると、これを神社に報告する祭礼も続けられた。旗行列やちょうちん行列の市中行進も神社に向って展開されたものである。

 日中戦争時代には新東亜建設、国威宣揚、興亜、生めよ殖せよの祈願……。更にこれが太平洋戦争と続き、出征兵士の誓いの場として神社参拝が行なわれ、お祭りも武運長久が柱となった。

 境内で行なわれる舞台や行事も「小樽健兵錬成相撲大会」など健民育成のためのものであった。これが戦後は「のど自慢」が主流となり、現在は「カラオケ大会」へと変遷している。

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 小樽の神社は北と南の帯状の地域にそれぞれ位置づけられている。また、小樽の神社は他都市と比べて坂の多いマチだけあって、参道も坂になっているのがいい。

 お祭りも春から夏にかけて期日が重なることなく、次から次へと続いて多くの市民を呼んでいる。いまのNTT小樽支店のあるところは、旧取引所跡と言って市民が長年にわたり集い親しんだ土地であった。龍宮神社や住吉神社のお祭りのときには、サーカスや樽の中を走るオートバイ、お化け屋敷、大きな看板を並べた見物小屋などで賑わった所である。

 人を集めるのではなく、人が集まる空間土地がこれからも必要と思うが、この場所も市民にとってなつかしい所であった。

 神社のお祭りは、市民の連帯性を高める場でもあると思う。

~小樽市史軟解 第3巻

岩坂 桂二

月刊ラブおたるより

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IMG_0495CIMG0834潮見ヶ岡神社

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今年の小樽祭りは、14日(火)15日(水)16日(木)。