小樽の人と時代 ♢経済は地球を回るエネルギー♢

2016年07月10日

 明治初期に本州各県から来樽し、漁業や商業を営んで成功した人たちは、明治27年刊行の「北海道実業人名簿」や、明治36年刊行の「北海道立志編」に記されている。

 その一端を「北海道立志編」の中からお知らせする。原文は句読点がないので読みずらいと思うが、できるだけそれに近い要旨とした。個人名は省略するが、小樽の実力者として名を成した人たちである。

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 『十九歳の弱冠を以て単身エゾの北地に踏み入り他人に頼らず助けを受けず困難と戦ひ大成を果たせし……』

 『志を立て本道に来るや小資にして能く商業を経営し身を守るに勤倹の二文字を以て常に従うに夕に星を踏み晨にはツキを冠き……』

 『丁稚小僧(でっちこぞう)より身を起こして不振の父業を継承し二十年の短日月に富巨萬を到し少荘の身を以て豪商の先輩と班を同じうし……』

 『小樽に来るも定業得ずして各所を放浪すること十余年人必ず因勉の功を積めば成就の時あることを確立して可なり……』

 『幾多の財失に遭うてしばしば傾覆の厄禍に陥り遂に意志を貫徹して商人を以て小樽に名誉職を奉するに至る……』

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 小樽に、信香町、山ノ上町、信香裡町、勝納町、若竹町、金曇町、芝居町、土場町、新地町の町名が出来たのは明治3年である。

 この周辺は安政時代(1854~1859年)より商店があった。しかし、明治中期の大火によって以後その中心は堺町、色内町方面に移っていった。

 前述の人たちは、祝津・高島のほか、この勝納川付近、そして堺町、色内町付近で活躍したのである。

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 10月号では、一つの街角にみる時代の変容として稲穂町の一角の写真を紹介したが、今月は色内町一角の写真から明治、大正時代の小樽を偲んでみたい。

 次頁の写真Aは、小樽駅前の中央通りにある色内町の一角で明治時代のものである。

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 右側の建物は、本年度道路拡張のため惜しくも取りこわされた井淵ビルである。この建物は明治31年に建てられたといわれる小樽銅鉄船具合資会社である。

 銅鉄船具と浅野セメントの特約店で、社長は安腰定作であった。その後、ニシン合同漁業会社、日産火災、中澤会計事務所、井淵会計事務所と変わってきたが、建物は造形美に富んだものであった。

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 写真Bも明治時代の色内町大通りの賑わいで、手宮側から見たものである。右の中央にクツ屋の看板がみえるが、その向いが銅鉄船具のビルである。写真A・B共に建物や、人と馬車に興味をひくが、道路も注目される。道は生活を変える動脈だといわれているが、この明治時代の道路も何かを物語っている。

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 写真Cは、大正から昭和にかけてのAと同じ一角であるが、井淵ビルは当所の建物とは変わっている。 井淵ビルの手前角はクツ屋であったが、後にビアホール・キャバレーとして有名なサンバシという店であった。戦後は市消防署出張所として使われたが、現在は遊園地となっている。

 その向い角は、現在の北海道経済新聞社で、以前は安田銀行(富士銀行)小樽支店であった。更に向い角周辺は戦後、小さな飲食店が立ち並び市民はここを国際街と呼んでいた。

~小樽市史軟解 第3巻 岩坂 桂二

月刊ラブおたる 平成5年11月~7年9月号連載より

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