オタモイへ  (小樽さんぽ より)

2017年09月06日

IMG_1076田口智子の小樽さんぽ2 歴史編

「廣部幸太郎」という人物の存在

 オタモイ海岸は、ニセコ積丹小樽海岸国定公園の一部であり、かつては海水浴場としても大変にぎわった景勝地です。また、明治時代には乳授け子宝地蔵として有名になった「オタモイ地蔵尊」の存在もあり、この地に早くから入植した廣部幸太郎氏は、魅力あるオタモイの地をもっと振興させたいと考えていたようです。彼は、養鯉業を営む実業家でオタモイ地区の地主でもあり、オタモイには彼の所有する池が点在していました。当時、鯉は高級食材で、その取引を通じて出会ったのが、その後、オタモイ遊園地の設計者となる加藤秋太郎という人物です。愛知県出身の加藤氏は、小樽に来た後、花園で「蛇の目寿司」という店を開いていました。これまで、オタモイ遊園地はこの加藤氏一人の思いで作られたとされていましたが、昨年、廣部氏のお孫さんから貴重な資料が博物館に寄贈され、学芸スタッフの山本さんが調査研究したところ、廣部氏がオタモイ遊園地の開発・建設全般にも大きな協力をしていたことがわかったのです。廣部氏は、いわば、オタモイ遊園地建設の総合プロデューサーのような役割を担っていたようでした。

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平成18年までは、遊園地の名残である、崖に沿った遊歩道を歩くことができました。が、がけ崩れが発見され、今では観光船などに乗って海側から姿を眺めることしかできません。その崖の赤い欄干がせり出した箇所に建設されていたのが「龍宮閣」でした。

IMG_1066白蛇弁天洞前で写した集合写真(昭和9年)

遊園地跡地に残る白蛇弁天洞の中の石碑に、「計者 加藤秋太郎」に続き「補佐 廣部幸太郎」の名前が刻まれており、名前はわかるものの、彼がどういった人物なのか長らくわからずにいたそう。このたび、廣部氏のお孫さんからこの写真を含む資料が寄贈されたことで、彼がオタモイ遊園地の建設において重要な役割を担っていたことがわかりました。廣部氏が、加藤氏にオタモイを紹介しなければ、オタモイ遊園地は存在しなかったのかもしれません。

IMG_1073昭和12年頃のオタモイ遊園地。崖の上に建つ龍宮閣は、昭和27年火事で全焼しました。

今も残る、唐門のナゾ

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現在も、見ることができるのがこの「唐門」です。この唐門を建てたのも、廣部氏でした。この門がどういう役割だったのかは、実ははっきりとはわかっておらず、一説にはオタモイ地蔵尊参拝の案内として建てられたのでは…と言われていました。ただ、博物館の山本さんは、唐門が遊園地内の龍宮閣などと同じく、赤い中国風の装飾がなされていること、今回わかった加藤氏と廣部氏の強い関係性を考えても、唐門は遊園地の一部として作られたのでは、と考察しています。今はだいぶ海岸寄りにある唐門ですが、建設当初は、バッティングセンターの辺りに建てられていました。写真は、昭和7年の唐門開園式の様子です。現在の場所に移転されたのは、遊園地の施設である弁天食堂が壊され、すっかり夢の跡となってしまった昭和53年のことだそうです。

~kazeru.[カゼル]2015(h27)年8月号より

IMG_2266じつはこの日

IMG_2268風がとても強く

IMG_2269波も荒

IMG_2274いつ

IMG_2279吹き飛ばされるかと

IMG_2292しゃがみながら

IMG_2338一歩一歩

IMG_2412あ~怖かった

IMG_1995次は

『一人だけが通れる道だったという、二十四曲り通り。現在も通れるのでしょうか。越後屋のおとうさんが、走って降りてきたという道。今でもあるのでしょうか。誰かご一緒しません?』