祝津と桜町はライバル?

2015年08月10日

『昭和26年に道立水族館・水産博物館設置期成会が発足』

 昭和26年、小樽は道立水族館と水産博物館の地元設置運動を展開した。このころ国内の水族館は日本海側に7館、太平洋側に14館、淡水地域に2館の計23館であったが、ほっかいどうには1館の施設もなかった時期である。

 全道的な視野からみて小樽が最適地であることを、室蘭地区、函館地区他と対比してその優位性を揚げて設置期成会を発足させた。

 期成会役員には、今はなつかしい人の名が連なって登場するので、その一部を紹介したい。顧問には衆議院議員の苫米地英俊、椎熊三郎、道議会議員は時田政治郎ほか地元から三室光雄、鈴木源重、田中巌、井口えみ。前市長寿原英太郎、元市長福岡幸吉、商大学長大野純一、その他、北大、学芸大学の学長、札幌市長高田冨与ほか11市町村長の31名。参与は北海道商工振興対策委員長佐久間長次郎、北大犬飼哲夫ほか10名。

 会長は、小樽市長安達与五郎、副会長は市議会議長岩谷静衛、商工会議所会頭松川嘉太郎、委員は港湾振興会長松浦三平、商店街協会長吉川英次、中央バス社長杉江仙次郎、道交通社長柴野安三郎、医師会長石橋猛雄、興業組合長須貝富雄、文団協高橋岩はじめ各種機関、団体代表の98人で組織された。

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 次に期成会の水族館・水産博物館構想について触れてみたい。場所は、第1候補地として祝津を挙げ、第2候補地に桜町(銀鱗荘周辺)を練った。水族館と水産博物館の使命は水産振興が目的であるが、同時に教育・文化の進展にもつながるもので、海の条件ばかりでなく観光条件も考慮して立地にこの2ヵ所を選定したという。

 祝津における利用面積は1万1千坪、桜町は3万5百坪を予定した。祝津は日和山灯台、トド岩、赤岩、オタモイの景勝を背景とし、桜町は銀鱗荘、小樽港の全景がみえる他、朝里川に至るハイキングコースと結びつけることなどを挙げているが、共に風光明美で海水浴場を擁していることを特色づけている。

 祝津、桜町共に水族館、水産博物館施設のほかに、単水地、自然海水池、小動物園、温室、子どもの国、海水プール、海浜ホテル、船着場設置もプランに入れている。

 第1・第2候補地共に水族館本体の建坪は428坪で、中央ホールに吹抜・中2階のある鉄筋コンクリート造りとし、その外観は自然美に対して近代的人工美とした。その中に龍宮室を設けたり、天井魚槽によって下から魚の生態をみつめ、あたかも海底にいるような感じを出すしくみも考えられていた。

 水産博物館は建坪388坪の鉄筋造りで、海洋展示のほか、実験、魚類の生態研究、気象と海洋の科学的研究など、現在重視されている海洋開発にも結び付く発想を巡らしていた。

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 昭和26年といえば、対日平和条約が調印されて日本の戦後体制に一応の終止符が打たれた年であった。また、日米安全保障条約が調印されたり、前年にぼっ発した朝鮮動乱による特需景気など、戦後の混乱とも異なった喜びと不安の交差した年でもあった。

 このような時期に小樽っ子の先輩たちは将来を見透して、豊かさを享受する施設の実現目指したのである。しかも、それを柔軟な発想で遠大に描いたのである。

 都市化が進み、錯綜した生活が増大すればするほど、静かな空間を必要とすることを教えている。

 

IMG_0730昭和26年当時の札樽国道

IMG_0731~期成会作成の道立水族館設計図

下~期成会作成の道立水産博物館設計図

~小樽市史軟解 第3巻 岩坂桂二

月刊ラブおたる 平成5年11月~7年9月号連載より

 

『小樽にも、袋澗らしきものがあると思った桜町(熊碓海岸)と祝津の二ヵ所。水族館建設地のライバルだったんですね。』

 当時既に、『天井魚槽』という考えがあったんだ。

 

 うちのライバルは『青塚食堂』と、私は、勝手に決めています。

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