店舗の移り変わり(その2)~花園3丁目商店街と花園レインボータウン 74

2017年03月16日

 本誌に毎号執筆している中小企業診断士の庄司俊雄さんは、3月号で「商店街は最高のコミュニティ施設である。― 商店街には市民の思い出や歴史がぎっしりと詰まっている。― 人々はここで出会い、デートし、散策し、時には家族や友達とウィンドーショッピングをしたこともある。人々の哀歓と歴史が詰まっている」と記し、更に「商店街はお母さんである」と述べているが、私も同感である。

 このような言葉を思い浮かべながら今月は商店街の動脈であった花園町の商店街のうち、花園3丁目商店街と花園レインボータウン(花園銀座街)の一部を写真を通して変遷していく店舗を観てみたい。

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 花園町という町名は1884年(明治17年)にできたものであるが、古くより中央商店会、銀座1丁目会~4丁目会、北門会、嵐山商店会、辰巳通り商店会などがあった。1丁目会から連合した花園銀座連合会が発足したのは1952年(昭和27年)である。商店会は商店街の繁栄、福利増進、会員相互の親睦を目的としていることは今も変りがない。

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 写真Aに見るように昔はスズラン灯も華やかで昼も夜も美しい商店街であった。しかし、このスズラン灯は1938年(昭和13年)当局より戦時のため消灯するようにと通達があり、翌年から本市のスズラン灯全部の灯が消えた。そして1942年(昭和17年)に金属回収令により、本体も軍に供出してその姿を消した。

 写真AからDに至る通りには例えば、タケヤとガンジロウのパンジュウ店、丸文と左文字の書店等同職種の店舗がそれぞれの客層をつかんで営業していた。

 同じようにカメラ店、メガネ店、喫茶店、ガクブチ店等同業種の店舗が競い合って共存共栄していることは興味深い。

 また、独自の専門店として、せんべい、ダンゴ、アメ、和紙、陶器、料理、鉄砲、名刺、運動具、レコード、洋品店などが並び、その多くは初代より二代目と引継がれて、お客との対話を大事にしながら現在も営業を続けている。庄司さんの言う「商店街こそ多様多種でプロフェッショナルなソフト付の最大のコミュニティ施設」を私はこの通りの商店街にそれをにたい。

 写真A・B・C・Dは同一時期に撮影されたものではないが、現在までの店舗の移り変わりをみながら、時代の振幅を見ていただきたい。

 現在の松竹ボールは前松竹座であるが、1904年(明治37年)に住吉座として改築され、錦座、松竹座となって区民や市民に親しまれた建物である。

 Cの右側に見える建物は形の美しい交番であった。(現在は花園橋前に移転)この花園交番も歴史が古く、1906年(明治39年)より建物は異なるがこの場所にあった。

 

A・B・C・Dは昔から賑わいをみせた花園商店街の一部の通りを線としてみたもの。

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A´・B´・C´・D´は同じ場所からみた現在の姿

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~HISTORY PLAZA 74

小樽市史軟解 第3巻 岩坂桂二

月刊ラブおたる 平成5年11月~7年9月号より

A

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D

 『BとCの場所はすぐにわかったのですが、AとDの場所がどうしてもわからず2年間かかってしまいました。こんな近くにあったんですね。』

 『とても風情があった街並みだったことでしょう…。』