安達市政と今は亡き忘れ得ぬ人々 (六)

2015年09月09日

 教育界では戦前、戦中、戦後にかけて長く初等教育の双璧と仰がれた高山喜市郎・横山友次郎の両先生。高山先生は一期市議を務められたがともに公選の教育委員として、連合PТA会長を勤め新学制をめぐって教育制度や倫理については相当の意見をもたれた安達市長と苦労をともにされた。続発する学校火災は安達市政時代における最も大きな悩みごとの一つであり、学校施設管理に対する市長要望を市教委を通じて各学校長につたえたこと権限や責任のあるなしではなく児童・生徒の教育と同じように学校にも愛情を注がなくては守られないとし、高山氏が稲穂小学校長在任中全校舎をくまなく一巡しなければ帰宅しなかったという話が我が意を得たりとして力説したものであった。高校長としては校長室に起居し、生徒と一体となった実践教育でそのもたれる理想を実現、学業にスポーツに今日の基礎をつくられた北照高校長江原玄治郎先生の存在は小樽の誇りであった。市長は深く江原先生の教育理念に共鳴し、これこそ人づくりの根幹であるともらしていた。北照高校の卒業式に当時の町村知事ご自身が臨席され親しく生徒を激励されるという異例なことがあり、これも先生のたゆまぬ努力と徳望のしからしめたものと敬服に堪えない。

 民政福祉関係として安達市政とつながりをもたれたのは宮尾直治氏をはじめ本間賢次郎・及川芳蔵・谷川原勝義・岩尾常吉・西富松士も各氏等市内各地域に有力な方々が多数おられたが、なかでも宮尾直治氏は全市的な福祉事業の企画推進には絶対欠かせない実力者であり、公職の多いことでは石橋猛雄氏に次ぐ方であった。具体的には総連合町会の結成、社会福祉協議会活動、保護司、調停委員、民生委員、としての職責完遂が抜群に加え、北生病院の建設や鉄道建設功労者クロフォード技師の銅像建立など、世のため人のためには自らなにものをも辞せず、かって小樽警察署長として現庁舎を建設した功労者であるが、警察どころか役人らしさは全くなく、厳冬でもオーバーを着用されずに長い年代もののマフラーを首にぐるぐる巻き、かなりくたびれた茶色の洋服に古いソフトをかぶり、市内のいたるところに赴かれ誠心誠意ことにあたられたその姿は、むしろ崇高であった。ご逝去にあたり「小樽市社会葬」という市葬に準じた特別の待遇をもってその功労をたたえたのである。本間賢次郎氏は共同募金会支会長として高潔な人格を慕われ、及川芳蔵氏は老人ホーム小樽育成院長として余市の善意を足で取りまとめ新施設をオタモイに建設し、福祉事業の振興に尽くしてその力量をたたえられた。谷川原勝義氏は戦後の福祉事業を進める中核となる団体として日赤、社会福祉協議会、共同募金会等の発足から運営までの事務的なすべてのことを総括され、安達市長の福祉行政を市民の立場で推進した蔭の功労者である。岩尾・西氏は多年にわたるボランティア活動を通じて市長に数々の福祉建策をされた方であった。

 体育・文化の分野では、小樽体育協会長であられた平澤亮造氏がおられた。平沢氏は山本厚三代議士の実弟で全道・全国的に知友も多く特に体育関係では「戦后の再建は青少年に健全なスポーツ精神を涵養しなければ」と主張され、たしか国体の本道選手団長も努められたはずである。テニスの戸井正三氏は体育の分野でも全道的な存在であったが、安達市政にとっては「ざっくばらんなご意見番」的位置を占められ、本業の会計士・税理士との関係もあって長く市監査委員の要職を担われた。文化団体連絡協議会長を多年努められた三ツ谷弘郷氏は歌人であり、実業家であり、民政福祉保健とあらゆる分野に活躍された多彩な才能に恵まれた人であり宮尾直治氏亡き後総連合町会長に推され町会とりまとめに独自の途をきり拓かれた。タカクワクラブ会長の高桑市郎氏も水泳を通じて青少年体育の振興と人づくりに特異な功績を挙げられた人で、安達市長は毎年塩谷海岸でのタカクワクラブの浜開き、納会には必ず出席しその事業をたたえたものである。画家の三浦鮮治氏は生涯を小樽にとどまり画業に専念して小樽文化の興隆に大きく寄与された。安達市長との旧知の医師仲間でもあった浅井幸氏は追分民謡連合会長として市内の同好者を集め伝統的な民謡文化を振興するために挺身された文化人である。祝津の水族館と展望閣のほぼ中央に昭和二十八年追分節記念碑を建立し、小樽の観光名所とされたことも忘れ得ない。経済界では大東産業社長の池田直治氏が北炭との関係から祝津に鰊御殿を移設するために奔走されたほか市と経済界のパイプ役として多忙な裡を尽力されていたお姿が思い出される。

 まだまだ安達市政にとって忘れ得ない大切な人々がある事は申すまでもない。この章では残念乍ごくその一部の方を紹介したにとどまったことを深くお詫びするとともに、四期十六年間の長い安達市政運営につながりをもたれ今は亡き多くの先輩各位を偲びご冥福を記念してやまない。

~安達与五郎追悼録 安達市政回顧

安達市政と今は亡き忘れ得ぬ人々

吉田 宏平(小樽市建築部次長・元秘書係長)より