養鯉園・広部養鯉園  

2015年11月05日

 養鯉園~オタモイは、水源を赤岩山にいただき、きれいで、豊富な水を利用して、鯉の養殖をしていました。

 

 広部養鯉園~大正七~八年頃より、昭和三十九年迄、稲穂沢付近、塩谷農協附近(この二つは、終戦後やめる)、現在のスバル自動車より中央バス附近、現バッティングセンター附近、長橋中学校プールの線路の上など数カ所に、養殖池がありました。

 ここでは、鯉、金魚を養殖し、蓮、菖蒲などを栽培しておりました。

 鯉は卵からかえった、四、五年生のものは料亭に卸されて、小樽の一番活気に満ちていた時代の食膳を飾りました。

 春にかえった稚魚は、秋口に、赤平や長沼など地方へ送られ、水田に放されたそうです。

 生き血は、急性肺炎の熱を下げるのに、よく使われました。

 産婦は、「鯉こく」を食べるとお乳が良く出るといわれ、町から買いにきた人もいたという事です。

 卵からかえった稚魚の餌は、茹卵の黄身を、液状にして与え、だんだん大きくなるにしたがって、練餌、そして、浮き餌へと変えていくのだそうです。

 (浮き餌は、軽くて散るので、枠を作り、その中に撒いて、与えるのだそうです。)

 自宅の横には、コンクリートの(地下水)池があり鯉を料亭に出す時は、二~三日前に、普通の池よりこのコンクリートの池に移し、「どろはき」をさせて出荷したのだそうです。

 又、身がしまっておいしい寒鯉も、冬でも凍らない地下水利用の、このコンクリートの池に移されておりました。

 残りの鯉は、深い大池に移され、冬を越しました。大雨が降ったり、池の水を落とす時には、水門を抜け出した鯉が川に流れ出て、子ども達がその鯉をすくって、あそんでいたそうです。長橋で育った方々の中には、大水の時、養鯉園の鯉が川に流れてくるのを楽しみにしていた記憶をおもちの方も多いと思います。

 金魚もいましたが、気候が寒く、良い色が出ませんでしたので、姿や、色を楽しむ金魚は、内地より移入しておりまして、卸しておりました。

 蓮池は、中央バス車庫あたりの一番上にあり、お盆には、「池わたし」といって、池を網で区切り、枠を作って、枠ごと花屋さんに卸し、花屋さんでは、好きな時に、好きなだけ切って持っていきました。

 菖蒲池は、現バッティングセンターの一番上にあったそうです。

 節句には、お風呂屋さんに卸しておりました。

 このほか、長橋の現トヨペットのあたりには、川島養鯉園、現トヨタのあたりと、長橋十字街の上の方には、西川養鯉園もありました。

 年々、住宅造成が進むにつれて、水が出なくなり、池を埋め立てていったそうです。

 オタモイ口の広部さんの前に、朱塗りの唐門の案内板が立っている所に、名残の小さな池が、数年前まで、ありました。

 

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 ~オタモイ・幸地区を中心とした郷土史より