日本近代建築と北のウォール街

2016年07月01日

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 小樽には日本の近代建築を知る上で、貴重な建築が数多くあります。 日本で最初の建築専門教育機関である工部大学校造家学科(東大工学部建築学科の前身)第1期生の佐立七次郎、辰野金吾、曽彌達蔵をはじめ、長野宇平治、矢橋賢吉など中央で活躍した建築家が小樽に作品を残しています。小樽市内の主な建築作品とその設計者

 旧日本郵船(株)小樽支店

……佐立七次郎

 日本銀行旧小樽支店

……辰野金吾、長野宇平治、岡田信一郎

 旧三井銀行

……曽禰中條建築事務所

 旧北海道銀行

……長野宇平治

 旧北海道拓殖銀行小樽支店

……矢橋賢吉、小林正紹、山本万太郎

 彼らが手がけた作品を含め、小樽が北海道の金融、経済の中心地として発展した明治後期から昭和初期は、色内地区には中央の大手銀行や地元銀行の本・支店、商社が軒を連ねるように建ちました。金融経済の世界的中心地ニューヨーク市マンハッタン地区に「ウォール街」がありますが、これにちなんで「北のウォール街」と呼ばれるようになりました。

IMG_2773小樽市建築都市部都市環境デザイン課発行より

 

『当時の人たちが北のウォール街と呼んだという記事や言い伝えを聞いたことがありません…。

確か、昨年マッサンについての講演会を聞きに行った際、

「銀行街の呼称は

○色内町銀行街

○色内町十字街

○色内町大通り

○ビジネスセンター

…。という呼ばれ方をしていました。

CIMG0619そのときの資料

博物館の方も正さなければ…。」と言っていました。

 

どうもあとから(だいぶ)作った造語のような…?

でも、観光客には浸透している(させている)ようです。』

『浸透させたのは、小樽市そして小樽教育委員会?マスコミも…。』

『あったことを証明できても、無かったことを証明することの難しさ。さあ、どうする。』