星岡の朝のみそ汁

2020年01月10日

IMG_3289牡蠣すり流し 刻み田芹 器……糸目錦椀(径13 高9㎝)

 星岡茶寮で魯山人は朝、昼、夜の3食をきちんと食べた。茶寮は料亭なので朝は遅い。料亭は夜が遅い。朝が遅くなるのも当然だ。とは言っても、昼の営業もあるので朝が遅いとは言え八時、九時。この間が朝である。そういう時間の間に、星岡に勤める者は皆出勤して、仕事は始まる。そんな時分に魯山人ひとりの朝の食事があった。

 星岡茶寮は残念ながら、昭和二十年五月二十三日の空襲の戦火で灰燼に帰し、現存しない。星岡茶寮は明治十四年から十六年にかけて、皇居の宮殿造営の際の残木を利用して建て)られた。茶寮というくらいで、京普請の茶室造りにできていた。本屋は大広間を「広畳(帖)と言い、四畳半の茶席「利休の間」。そのほか「丸炉」「三帖台目」「ニ帖台目」「寄付」「お茶場」「客待」「玄関」「内玄関」「お下(厠)」からなっていた。それに魯山人の代になって新館を建て増し、松・竹・梅の三席に、田舎家、西洋田舎家の客席を設けた。これらは北側の崖へ鉄筋コンクリートの土台を築き、その上に松・竹・梅の新館の三室に、その中二階に両田舎家を、その下へ、つまり一階が女中部屋として設けられていた。台所、調理場はもう一方の崖へ二階建てにしつらえたものだった。

 魯山人は「利休の間」を寝室にして、朝起きると、すぐ朝ぶろに入った。朝ぶろに入り身だしなみをととのえて魯山人が自室に入ると、当番の女中が待ってましたとばかりに、調理場から魯山人の朝食の膳を運んだ。膳は一汁一菜に香の物の至って簡単なものだった。食器、飯茶わん(蓋付き)、塗りわん(蓋付き)、皿、小鉢、箸置のすべてが魯山人自作のものである。

 魯山人は利休箸を手に取り、おもむろに汁わんの蓋をあけ、ひと口すするようにして、赤だしのみそ汁を吸うのだが、その際、文句がなくて、のどへスルスルと落ちてしまえば、料理としてのみそ汁が魯山人の味覚に叶ったことになる。ところが、いつもそうとはかぎらない。汁わんのふちにつけた魯山人の唇がスッと離れて、いきなり、

 「きょうの当番は誰だ。」

 と、怒気をふくんだ質問が女中に浴びせられる。女中はささやくような小声で、

 「ハイ、きょうは誰それさんです」

 と。答えると、魯山人は

 「こんなみそ汁喰えると思うか」

 と、怒鳴る。女中は汁わんに蓋をして盆にのせ、下がり、程なくして女中につき従うように当番の料理人が入ってきて、低頭している。

 「あんなみそ汁喰えると思うか」

 と、もういっぺん魯山人は繰り返すように言う。料理人は恐縮しているが、なにも。今朝にかぎったことではないのだから、肝の底では、先生はどうも虫の居所がわるい……それくらいに高をくくっているのだろうが、口先では、一応

 「ヘイ、すんまへん、申し訳ありまへん。」

 と、頭を下げる。魯山人はすかさず、

 「あの汁は、どうして作ったか言ってみよ」

 と、またしても怒鳴りつける。料理人は、

 「ヘイ、鰹節をけずりまして、煮たてた湯にサッと入れ、だしを取りまして、それからまた、昆布のだしを別に取りまして、それの合わせた一番だしを土台にしまして……」

 と、順序だてて答える。

 星岡で使うみそは、越前の吉崎在のある所から取り寄せ、そればかりを使った。汁椀の中身は季節によってさまざまだが、春ごろならば、出盛りの新わかめであったり、茶寮の自家製豆腐であったり、大根の千六本であったり、若菜であったり……。魯山人は料理人に向って、

 「君らは料理のクロウトだろうが、星岡茶寮の料理人だという自負はあるのか。それなのに、俺んところの山出し、ぽっと出の女中の舌にも及ばぬとはどうしたことなんだ。窯場の女中の作るみそ汁でも、今お前がこしらえてきた、まずくて喰えないようなみそ汁は作らんぞ。」

 と、言い放つ。

 「いいか、冷めぬようにいつまでも火にかけたり、冷ましたり、温め直しているうちに、しまいには訳の分からぬ泥水みたいになってしまう。みそ汁にはみそ汁のコツがある。それを会得しなけりゃ、いつまでたっても上品な美味をもつみそ汁をできない。要はみそを生かしているか、殺してしまっているかということなのだ。いい出来栄えのは、みそを生かしている場合なのだ。作る人が生きているということなのだ。料理する者は、常にものを生かすことをこころがけなければ、よい料理はできない。

 いいか、みそ汁はみそをなべに落として、グラグラと沸騰したてのところがいちばんいいのだ。三州みそはでんぷんが多いので、でんぷんまで全部使っては、ドロドロになってうまいという訳にはいかない。今更言うまでもないことだが、酒を飲むという膳には、ドロドロした汁では適さない。それには三州みそを小口からサクサクきり、細かめのザルに入れ、だしの中で洗う。ざるの中にはでんぷんが残る。だしに溶けた分は、みその味がする程度でいいんだ。しかし、そこは各自の口に合うようにする。よく洗えば、自然と汁は濃くなるし、アッサリ洗えば、勢いぜいたくなみそ汁になる

 みそ汁ひとつ作るにしたって、いろいろ手法があろう。その手際如何で、同じ材料のみそ汁にも幾段もの等級ができる。結局いいかげんにやるか、気を配ってやるか、その人その人の心組みによって決まるのだ。わかったか。」

 と、魯山人は訓すのだった。引き下がった料理人が、一わんの汁を作る間の十五分か二十分の間、魯山人は自室でじっと待つのだった。

 

~魯山人料理の極意 平野雅章著 五月書房より

 

色内大通りを歩いていると、

旧小樽商工会議所向かいのお宅が

IMG_3292解体中

IMG_3293きが感じられる造りでした

『岩淵道三宅?』

『諸行無常のひびきあり…。』

~2015.11.8より