昭和会あとさき(上)  ①

2016年01月29日

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 こういうことを長々と書立てるものは、今の自由党の前身ともいえる昭和会が昭和2年結成された。提唱者は杉江仙次郎さんであったろう。然し結成されざるを得ないものが当時の小樽にみなぎっていたのも大仰だが流れていたということを書きたいためです。前にも述べた大味久五郎区長は何事も革新クラブの御大山本厚三代議士に相談の上でなくては運べなかった。区長のそういう立場への反撥。古手官吏上りの通弊である事なかれ主義への不満が昭和会を産ましたものであることを言いたいのです。

 小樽区長は初代の金子元三郎。山田吉兵衛、渡辺兵四郎といった小樽の元老を戴いて来た後、六代区長永井金次郎(元高知県知事)七代区長。市制施行後の初代市長大味久五郎(元沖縄県知事)二代市長佐柳藤太(元千葉県知事)という人達に市民はあきたらなくなって来た。尤もこの佐柳二代市長はなかなかの人であったらしいが一年半在職中に逝くなっている。

 市の繁栄につながる市政に対して、市民が如何に関心が深かったか。市役所だけには委しておけないとして我事として手弁当で熱心に活躍した人が如何に多かったかを語りたいのである。

 その様相は小樽に限らない。繁栄した街はどこでもそうであるに違いない。

 然し甞って小樽高等商業学校誘致に文部省で大見得を切った人達を含む公正会も漸く老いた。元老寺田省帰も大正九年の総選挙には引退して立たず、磯野会頭(小林多喜二の不在地主のモデルといわれる人)小町谷純(弁護士、道議)篠田治七(道議、洋物卸商)早川両三、塩野喜作なども、大正の終りと共に或る者は老い、或る者は退いた後、市民の大きい待望の中に昭和会は生まれたのである。

(敬称を略したことをお許し下さい。)

 IMG_3828~タイムマシン小樽 田辺順

 月刊 おたる

 昭和48年3月号~48年12月号連載より

IMG_4290情報収集のため やってきました

IMG_4291昨日に続き

IMG_4292えっ~ そういえば月に一度だけ金曜日 休館の日があったぞ

『今朝、図書館のホームページを見たのに。学習能力のない私。』

『帰って、作ろう!』