早川両三宅 ㉒

2016年02月19日

旧建築名 早川両三宅

所在地  緑1丁目

建築種別 専用住宅

構造概要 木造平屋一部2階

外観   下見板

屋根形状 寄棟

屋根葺材 瓦

建築年  明治38年

施工者  棟梁:イガリ某

 早川両三は安政4年八丈島の農家高村岩三郎の四男として生まれた。明治10年函館に渡り、同13年小樽に来住した。回漕店の店員として勤めた後、明治20年「丸越」早川両三の婿養子となり早川姓を名乗り、38年養父の死後襲名して両三と改め、不動産業などを営んだ。

 住宅は、平屋棟と、そこから1階に連絡する2層の「はなれ」および木骨石造の蔵で構成されている。平屋部分の鬼瓦や石蔵妻面上部に屋号「丸越」が刻まれているのが見られる。平屋棟は和風の外観で、初期には3つの玄関があって現状よりも規模が大きかったが、昭和28年頃に敷地の一部を売却して、玄関1つを含む一部分を取り壊し、主玄関左側の棟を切り落とした形態となった。2層の「はなれ」は、1階窓部分の欄干や地階の上げ下げ窓が特徴的であり、後に増築したものであるがその年代は不明である。

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 平屋棟内部の茶の間、台所及び浴室にいたる廊下は中庭を囲むように構成されていて、廊下以外は全て和室である。玄関平側には長い通り土間があり、土間に面した和室の棟を切り落とした部分には、床の間が造作されていて、床柱部分には貫の「ほぞ」穴を埋めた跡が残っている。取り壊された部分には、4室の和室(40畳、25畳、8畳、6畳)があったと聞くが、詳細な配置は不明である。はなれ部分の1階は和室で、地階は板張り床の書庫となっている。

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 初期とは規模が異なるが、明治の本格的な和風住宅の形態が随所に残されていて、この地区を代表する住宅である。

IMG_4031より

IMG_3814松島内科の前にある

IMG_3815早川両三宅

『川又健一郎宅と早川両三宅はどちらも明治38年に建てられたんだ。』