私の手が語る~やってみもせんで

2016年03月01日

 頭にひらめいたことを、ただちに手を通してかたちあるものにし、、そのアイデアを実証せずにはいられない人間。こういう人のことを、ホモ・ファーベルと呼ぶそうである。変な表現だが、「手の人」「モノを作る人」というわけだ。

 いわゆる口先だけでいっこうに実行のともなわないタイプの人間「口舌の徒」とは反対の存在だということができるだろう。

 たしかに私の生き方には、頭で考え、手で考えるといったところがある。いまはもうほとんどといっていいくらい技術的なモノ作りはやっていないが、そのかわり、たいへん技術屋的な絵をかいている。絵カキさんの絵とちがって、これまでモノを作っていたと同じような気持ちで絵筆をにぎっているのである。

 以前、二輪や四輪の自動車作りをやっていた頃の私は、一面では理論を尊重し、一面では実証を尊重していた。

 ひとつの理論をもって設計にとりかかるのであるが、考えたようなものができるまではありとあらゆる手段を使ってみて最良の結果を得ようとしたのである。

 技術というのは不思議なもので、すんなりと理論どおりのものができる場合と、ちょっとしたプロセスのちがいで予期せぬ結果が出る場合とがある。長年やっていると、

「何か、あるな」

 予感がひらめいて、さらにそれを実証したくなるものだ。そういう点で、ひとつの仕事にとりかかると、ああでもないこうでもない、「ああやってだめなら、こうやってみろ」ということになる。それがまた、とりも直さず、新しい貴重な体験となって蓄積されてゆくのである。

 たしかに、苦労したのは、そういう私につきあってくれた人たちである。まだ工場も小さくて設備も乏しかった頃、薄暗い明かりのもとで私の助手をしてくれた人なんかは、電灯で手もとを照らしながら、外科手術の医者に次々とメスを渡す看護婦よろしく、いろいろな道具を渡してくれる。すこしでも手暗がりになると夢中になっている私はピシリとスパナかなんぞでその手を叩く。

 食うか食われるかの仕事をし、そういう仕事のなかにも技術屋としてのこたえられないやり甲斐に没頭している私はいいが、助手を務めている若者は、夜おそくなって腹はへるし、それをいい出せる雰囲気ではないし、泣きたくなるほどだったという。

 そうして私が道すじをつけたものをムダなく大量に製造するため努力した人たちも、たいへんだったろうと思う。それぞれの連中が自分の立場で、頭をフル回転させ、私と同じように考えたことを実行に移しながら前進してきたことが、今日につながっているのであろう。簡単にギブアップするということを、われわれはやらなかった。

「それはムリでしょう」とか、「おそらくダメでしょう」といった言葉は、「やってみもせんで、何を行っとるか」

 という一喝でけしとんでしまう。一見無理なものが、ああやってだめならこうやってみろというねばりの前に可能性をもちはじめてくるのである。

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『誰が書いた本かは、おわかりですよね。二輪車も、四輪車も作ったメーカーといえば…。』

 

『この文章を励みに挑みました‼』

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IMG_4543そば寿司

IMG_4592蒸し鮑

IMG_4598鴨南蛮

です。