お女郎町が灰になって中心地が北へ(二)

2016年03月15日

 ところでコンタン町が一夜にして灰燼に帰した。明治十四年五月のフェーン現象による大火である。奥沢入口の芝居町から発火して旧小樽の中心部六百戸が灰である。内地から出稼ぎ根生の侘住居は木と紙ばかりでサア燃えてくれといわんばかりだが、明治小樽の歴史は大火の歴史でもあった。

 かわいいコンタン町なにしに焼けた

 寝ててカネとったその罰で

 三十三軒バラッと焼けた

 遊郭三十三軒に対する市民のウラミの俗謡だが、これによって遊郭は住ノ江町に移され、小樽の中心地は諸官庁移転と共に量徳町、相生町住吉町や入船町に移行、さらに港町、堺町が栄え始め、港湾施設の発達と共に色内町、妙見川畔、商業の発達によって稲穂町へと北上していく。一方手宮、高島は小樽旧市街と別にニシンの高島場所として安政期に色町ができるという別な発展の経路をたどっているが、ニシンのつぎが雑穀相場、海運業、生鮮市場としての商業都市が片付くられていった。そのころはまだ入船川口の海に立岩という奇岩があったり、信香町海岸に燈台が立って、海っぷちはゴツゴツしていたが、昭和に入ってから築港のため爆破している。

 みなさん、信香の辺で「コンタン通りはどのへんですか」と訊いて歩いてごらんなさい。ひょっとしたら四代前かのおじさんがイロに狂った話がきけるかも(マサカ)。

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(写真は小樽市史より)

IMG_4692より

IMG_4854右側がコンタン町(奥沢側から)