氷割船(ザイワリセン)がやってきたぞー(一)~⑤

2019年01月06日

 チョンマげ 明治七、八年にはまだ三分の一の市民が時代劇のようなヘアスタイルだった。床屋は明治二年ごろに開業した桜井四郎治というのが元祖で、十年ごろまで五、六人の職人が歩いていたという。歩くというのは店をかまえず、注文があるとハサミとカミソリをもって出かけるからだ。結髪五銭、斬髪十五銭。

 フロ ニシンを煮る鰊釜をつかうのが多かった。底が熱いからゲタはいてはいる。フロ屋は信香町の柳湯が元祖で、大人八厘をとった。

 家 風にとばないように石をたくさんのせた屋根。家というよりバラックで、カネ儲けたら本州に帰ろうという腰かけ組。酒のまずバクチを打たずに成功した者が故郷に錦をやめて永住しようときめたとき、火災防止の軟石づくりをやった。運河の倉庫も火よけから石づくりになった。

 異人館 いまの双葉女子学園のところに雇い外人の宿舎があった。

 裁判所 明治十六年に小樽治安裁判所が信香町に開設、そのあと量徳学校内に移った。この年の犯罪は失火九、窃盗三十九、ケンカ十九、バクチ十五、サギ十九。西部劇のような新開地で気心知れない同士。サギが意外に多い。

 移住者 土地の顔役のところにあいさつして身許引受人になってもらうのをワラジぬぎといった。

 芝居 奥沢の入口に黒川座という間口八間、奥行十二間の小屋ができて田舎芝居がかかった。一間は六尺、二メートル弱。つぎに末広座が永井町に、住吉座(錦座)が山の上町にできて江戸役者をよび、義太夫などもやったが、みな火事か赤字でツブれたり再起したり。

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見直せわが郷土史シリーズ⑥

小樽市史軟解

奥田二郎

(月刊ラブおたる39号~68号連載)より

~2016.3.27~