南郭と北郭(その二)

2016年04月30日

明治十四年四月の大火でこの花柳街は全滅した。新たに住ノ江町が指定区域となり南部屋丸辰大友楼小林楼など次々に建てられ札樽鉄道開通と相待って住吉駅(現南小樽駅)附近は繁昌した。だが好事魔多し、二十九年住江遊郭から出火してこの方面を全焼し、これを機会に遊郭は都心から天狗山下の一画に移され雑草茫々と生い茂れる山裾に吉原になぞらえ柳町京町仲町弁天町羽衣町など新しい町が開けた。これが所謂戦前まであった南郭である。(これら粋な町名も最近の町名改正で消え去った)全盛期には南楼、鯉川楼、加陽楼、清明楼、大入楼、全盛楼、花月楼、開花楼、八幡楼、吉田楼、三亀楼外数軒、が櫛比し不夜城を誇った。鯉川楼は松岡から八木に持主は替ったが昭和七年先鞭をつけて廃業、昆布温泉には既に旅館鯉川を開き観光事業に転出したが昭和三十七年全焼し現在は新館に変って盛業を続けている。戦後南郭も廃されて大部分の大廈高楼も建て替ってしまったが入口右手の塗りつぶされた二階戸袋にかすかに金盛楼の文字が読みとれる。

おたるむかしむかし 下巻

越崎 宗一

月刊おたる 昭和39年7月創刊号~51年12月号連載より