日本郵船小史10~(五)欧州大戦より第二次世界大戦まで

2017年10月08日

(大正5年ー昭和17年)

(3)当社欧州航路の北海道寄港

欧州大戦中は海上運賃高騰し不定期船は日本/欧州屯当り30円であつたが当社欧州定期船は3円50銭であつた。依つて貿易商は当社の船腹を手当すれば運賃だけで、屯当り26円50銭の利益を得ることとなるので、当社の船腹を獲得するのに浮身をやつしたといわれる。

当時、北海道産雑穀は横浜又は神戸経由で積み替輸出され、直輸出と比較し、1袋当り40銭ほどの差があつた。雑穀業界の重鎮であつた高橋直治氏、井上安次郎氏などが、近藤社長、土方小樽支店長に猛運動して当社欧州定期船を横浜より小樽に回航することに成功し、本道業者として始めて欧州向船復を手当することが出来、外国と直接電報を交換して取り引きするようになり、後年小樽大手亡の値段が直接ロンドン市況に反映するようになつた。

大正8年(1919年)8月5日最初の欧州直航船鳥取丸(6057G/Т)が小樽に入港した。