日本郵船小史12~(五)欧州大戦より第二次世界大戦まで

2018年10月31日

(大正3年ー昭和17年)

(5)根室/青島・大連航路

上海は北海道及び千島海産物(主として昆布)の主要市場であつたため当社は大正15年3月13日釧路出帆の竹島丸を第一船として根室・上海線を私設航路として開設経営し、毎年3隻及至6隻を使用したが、昭和6年(1931年)満州事変勃発により上海は日貨排斥の中心地となりて、取引閉鎖の状態に陥つたため昭和7年以降休航した。

北海道各地の海産物組合は上海市場に代るものとして満州・青島方面へ新販路を開拓し、当社に対し北海道/青島・大連直通航路の開設を要望して来た。当社に於ては上海航路の不振に因る余剰船腹を以て新航路を開設せんとする時であつたので、北海道側の希望に応ずることに決定し、昭和8年(1933年)5月16日釧路出帆の摩耶丸(31450G/Т)を第一船として本航路を開設した。

開設当初は2隻毎月1回の配船としたが昭和9年には主基丸・立石丸・萬代丸・神愛丸(以上傭船)山形丸及び秋田丸の6隻を配船した。本航路は根室及び大連を起終点とし、釧路(往航)室蘭(復航)函館(往航)・横浜・名古屋・青島(往航)に寄港し、更に荷況によつては阪神地方及び裏日本諸港に廻航往復航共に好況を持続した。

 

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