おたるの先駆者 ③ 小樽区長 渡辺兵四郎氏

2016年06月16日

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時の農商務卿と親交

伊藤総理さえ酒に引込む

〇…渡辺兵四郎についてはこんなエピソードがある。明治二十年、ときの農商務卿、西郷従道に兵四郎がハダカ踊りをさせたというのである。西郷従道は、そのころ開拓使が廃止された跡始末のため来道、帰途小樽に寄ったところ、料理屋〝丸辰〟で気にいった女ができ、そのままズルズルと滞在していた。そのころ有名な開拓使官有物払い下げ事件が起こり、藩閥政治に対して自由民権論者は徹底的な批判を加え、問い合わせの手紙や電報が官有物を二束三文で払い下げた当の主人公である西郷従道に続々舞い込んできていた。

西郷にしてみれば東京に帰るに帰れず、小樽に沈没していたものだが、渡辺兵四郎はそのお相手をしていたわけで、毎晩二人で浴びるほど酒を飲んだらしい。そのあげく、西郷はいいきげんになってハダカ踊りをしたというのである。「キマルコトナラキメテオクレ」と追分節の一節をときの総理、伊藤博文に電報を打ったのは、このときの帰途である。

〇…兵四郎はそれ以来、中央の政界と密接な関係をもつようになり、水産税の減税運動などで東京に陳情に出るときも、伊藤博文、西郷従道などを一夕ご招待申し上げるようになっていた。また、こんなエピソードもある。東京で伊藤公などを招待したところ、伊藤公の酒は午後八時になると「用がありますので」といって必ず帰ってしまうので、これを引き止めることはできぬかということになり、兵四郎がこの役を引き受けた。

宴会が始まり、時計がボーン、ボーン…と八時を打つと案の定、伊藤公が「用事がありますので…」と立ち上がった。そこで兵四郎は「御前のようなご身分の方でもご用がありますかなあ」といった。すると伊藤は「何、わしらを遊んでいるとでも思っているのか。議会の始末で忙しいのだ」とヤリ返した。

兵四郎はさらに「御前のような方でもねえ」とイヤ味をいったところ、伊藤公はしばらく兵四郎の顔を見ていて「渡辺、飲もう」と再び席につき、兵四郎は大いに男をあげたというのである。

〇…渡辺は、弘化三年、出羽国山本郡能代馬喰町に生まれ、十五才で小樽に来、信香町山田兵蔵に奉公に出て番頭にすすみ、明治十一年独立して金曇町に荒物商店を開き、かたわら漁業を営んだ。漁業ではニシン網の改良に努め、新しい方法が見つかると、これを自分だけのものにせず一般の漁民にもすすめ、地民の漁民からも感謝されている。

三十六年六月には小樽水産組合が組織されると組合長となり、三十五年には道会議員、三十七年道会議長、四十一年の衆議院議員選挙で前代議士高橋直治と同点、年長者として当選が決定したが辞退(※2)。四十五年三月には小樽区長に就任、大正五年まで小樽発展のため尽くした。

晩年は座談を好み、病床に倒れてからもマクラ元に人を呼んで懐旧談をよくしたという。先のエピソードをみてもわかるとおりの客上手で、明治六年九月の明治天皇北海道順幸上陸記念式典には、病気にもかかわらず、風雨をおかして式に参列、玉グシをささげたという明治時代のバックボーンをもった人物であった。(敬称略、題字は小樽市議会議長、星野一二氏)

~毎日新聞社より

※1と※2 真実は、どちらなのでしょうか?

 

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