祝津水道記念碑

2016年06月14日

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=所在・祝津町=

 小樽市が自慢の〝海の公園〟祝津海岸の入り口に、さりげなく積みあげられた自然石の記念碑がある。これは今から41年前の大正7年、私財を投じて部落に上水道施設した一漁業家の篤志に対する住民の感謝のしるしである。そのころの祝津海岸は、隣の部落の忍路、高島とともに、ニシンの戦国場所として全盛をきわめ、約300戸の漁民は東北北陸地方からやつて来る〝ヤン衆〟を加え、浜辺に消え残る残雪を踏んで、ワク船や、起し舟を繰り出したり、建網の仕込みにかかり、ゴメの群れが飛びかうのを合図に威勢のいい沖揚げ音頭を夜も昼も休みなく歌い続けた。住民は背後の丘の沢からわき出る清水を飲料に薄暗いランプの生活を当り前のこととして自家用の井戸を掘る人もなかつた。

 それだけに主婦や〝ヤン衆〟番屋の炊事婦は水オケをかついだり、ソリを引いたりして1日中、沢と台所を往復するという有様だつた。そのころ部落一の網元だつた白鳥永作さんは、夏でも手のしびれるほどの冷たい天の恵みを各戸に配り、おかみさんや、子供たちを水くみの重労働から解放してやるとともに、伝染病による部落全滅の悲劇を未然に防ごうと考え、いまの工事費に見積れば2、3百万円にもなるといわれるほどの大金をポンと投げ出して貯水池を作り、鉄管を敷設、部落の各所に水そう(槽)を設けたのだつた。

 ニシンに見放され最近は、ひと握りの寒村に落ちぶれ網元の豪勢な生活をしのぶよしもないが、清水だけは絶えることなく、こんこんと共同水そうからあふれ、主婦たちはどんな吹雪の日でも水仕事が苦にならず、天恵を分け与えてくれた白鳥さんの篤志に感謝している。

 碑題は水道の完成を記念して当時小樽市の長老で書道の奥義に通じた徳望家渡辺兵四郎翁が白鳥さんの義挙に感激して得意の巨筆をふるつたものである。

IMG_5695小樽 石碑と銅像 

昭和36年3月15日

小樽市教育研究所 発行より

 

『疑問?』

ヤン衆→わかい衆

網元 →大宅、鰊場の親方

そして、

祝津の上水道を施設したのは?

白鳥栄作さん?白鳥ちよさんですよね。

夫婦?

IMG_5710おたる政寿司創業75周年記念誌

著者:山川 隆

平成26年(2014)2月25日発行 によると

 

ニシンに関するエピソード

 祝津に「水道記念碑」があります。これはニシン場の網元の白鳥ちよさんが春先の寒い中を女の人や子どもたちが水汲みで苦労しているのを見て可哀そうに思って、その頃の3万円(今の3億円)出して、「簡易水道」を造ったのです。

 これに感激した村の若者が赤岩の山から大きな石を運び出して、自然の石の「水道記念碑」を建てたのです。これに感動した小樽区長の「渡辺兵四郎(ひょうしろう)」が自ら揮毫(きごう)して「水道記念碑」と書いたのです。祝津の龍泉寺の前に今もあります。

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