長紀聖蹤碑

2016年06月17日

IMG_5764=所在・花園公園=

 小樽の市街も海も一目に見下ろせる花園公園東山に、巨石時代の遺跡をしのばせる見事な石碑が、そそりたっているたたみ6、7枚も敷かれようという岩盤の上に、がつちり納まつている碑面の「長紀聖蹤(ちょうきせいしょう)の大文字があざやかだ。

 明治天皇が本道に、はじめて第一歩をしるしたのは明治14年8月30日、小樽の手宮駅桟橋だつた。軍艦「扶桑」に乗られ、海防艦2隻をしたがえた天皇が上陸するころ、にわかに暴風雨となつたため公園の展望台行きを変更、開拓列車で札幌に直行され、その日から50年目の昭和6年、市の元老渡辺兵四郎翁が、私財を投じてこの碑を建てた。碑題は当時の宮内大臣一木喜徳郎。渡辺翁は小店員からたたきあげ豪商であるとともに区会、国会、さらに区長として敏腕をふるつた政治家で、書歌の道にもつうじた才人でもあつた。

 天皇ご上陸の歴史をとどめるため「費用はいくらかかつてもいいから、他人がまねのできないものをこしらえろ」と一族やお抱えの庭師に命じて、郊外の毛無山から巨岩を掘り出させ、延べ5・6千人の在郷軍人を動員して、約10キロの道中、途中真栄橋を舗強工事までして引張りあげた。そして公園入口附近では、約300メートルのだらだら坂を引張りあげるのに10日余もかかつたという。

 その運搬には、荷馬車組合が住吉神社の境内に建てるなら無料で協力するというのを笑つて断り、日当を払つたうえ、酒は飲み放題という条件で、在郷軍人を動員、運搬から完成までに半年かかつたという。翁は昭和5年秋75歳で倒れたが、巨岩の行列が公園近くに進んでからは、乳母車に乗つて毎日先頭にたつてさい(采)配をふるい、念願を果たした翌年春死去した翁の遺徳をしのぶ記念碑は公園入口に建てられている

 

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IMG_5695より

 

IMG_5678渡辺翁彰徳碑