小樽に於ける商人の出現と各種商業の変遷(三)

2017年01月07日

一 はしがき

…その名を轟かしたのである。

 斯して先ず商人として海産商が発生し、これ等の証人は海産物を取扱うと同時に多くは、当時本道奥地の開発と鉄道路線の延長に伴って、大小豆、菜豆、馬鈴薯其他の多量の農産物が小樽の市場に蒐ったので、此の農産物を併せて取り扱うものが多くなり、所謂海陸物産商と称するものが出来た。然し後に至って、海産物と農産物とは自然に分離されて、海産商の外、雑穀商と称する商人が現れた。此等雑穀商は最初の間は海産商に比べてその數も少なかったが、第一次世界大戦の後欧米の食料不足が幸いして、北海道の青豌豆、色豆、澱粉等が盛んに輸出され、他面鰊の北上薄漁に依り鰊製品の取扱高も減退し、即ち海産商の盛期も終わりに近い頃、全く偶然の機会で海産物に反比例して雑穀輸出の旺盛期を迎え海産物の取扱高を遥かに凌駕する様になり、ロンドンや和蘭の豆相場が小樽市場の相場に依って左右されるといわれた程世界的の市場に飛躍したのであった。

 又一方、右の様に海産物や雑穀の商売がおうせいとなるに随て、此等を包装する専門的の繩莚商が生まれ、又此等製品を貯蔵する倉庫業、倉入艀積する仲仕艀業、内外地に此れを輸送する船舶業者等が同時に繁盛したのであった。

 小樽の商人はほぼ以上のような変動を示したので、以下に時代を追って個別的に其詳細を述べてみよう。

 

img_2473今日と明日は住吉さんの

img_2474どんど焼き

『たくさんの人が来ていました。お祭りのようでした。』