小樽に於ける商人の出現と各種商業の変遷(四)

2017年01月08日

ニ 漁業家の繁盛期と鰊漁

 慶応元年、小樽内場所が、又毎時二年高島場所が、請負制度を廃されて、従来の特権的独占の利を占めていた、住吉屋(西川家)、恵比須屋(岡田家)の二大運上屋は請負を解除され、爾来何人でも出願すれば自由に漁業を許される様になったので、従来両運上屋の下にいて、多額の権利金を支払っていた、小樽、高島の小漁業家は新に出願して就業し、地方の者も此れに做って漁業権を得たので小樽高島地区に於ける、ニシンの建網、差網共急激に増加してニシンの収量も急増し、此等の漁獲物を取扱う商人や漁業関係者に生活物資や漁業資材を商う者も続々と入り込んで、両地の繁昌振りは目を驚かすものがあった。

 明治十三年頃から二十年代に掛けて、小樽、朝里、高島、祝津方面で建網を建てていた漁師の名前は小樽市史に依れば、

 石橋彦作、中山喜六、木村徳蔵、岡田八十次、西谷嘉吉、福永多三郎、福永作太郎、藤野史郎兵衛、山田吉兵衛、田中武左衛門、布施市太郎、布施茂左衛門、船木忠兵衛、宮腰伊兵衛、奥村兵助、中山喜三郎、井尻静蔵、藤山要吉、渡辺兵四郎、白鳥永作、青山清吉、久末末吉、

等であったが、それから五六十年后の現在此等の人々の後裔で知られている人は何人もいない事を思うと、豪著を極めた漁業家の末路の儚さを痛感するものである。