小樽に於ける商人の出現と各種商業の変遷(十五)

2018年05月12日

三 海産商の盛況と鰊不漁の影響

一『このように、海産商が盛大になるに従て、多くの地場の銀行が設立され、又取引の関係上、青森、富山方面の銀行の支店も小樽に進出し、従来の内地大銀行と並んで、海産の金融に役立った。』

一『当時、業者、仲買人共華かな生活をしていたが、そのため、自然、業界も享楽的気運が漲り、漁の豊凶や、内地方面の相場の変動に依る価格の高低に変ずる投機的の風潮から遁れる事は出来なかった。随て一攫千金を得たものもあったが、又半面、相場に敗けて一挙にして投産 した業者も少くなかった。

 昭和六年頃、樺太で鰊の大漁があって大体五十万石の収穫と云われたが、そのため鰊粕の相場もかなり安くなって、百石八百円位だった。私は千円位から買い下がって八百円迄買いました。約八千石を八百円で買ったのが底値で、又七月には千円まで戻り、秋になると千五百円に跳ね上り、その後ヂリヂリと上げ続て翌年の一月頃には千六百円になったので大変な儲けをとりました。その頃は物が多過ぎて銀行も楽に貸して呉れたので、却て思惑に失敗した例も沢山ありました。』