小樽に於ける商人の出現と各種商業の変遷(十七)

2018年05月20日

三 海産商の盛況と鰊不漁の影響

 海産商は右の様な変遷を経つつ次第に鰊凶漁に連れて衰調を呈して来たが、昭和十五年戦時統制に依て愈々その生命を絶つ様な結果になった。即ち戦時中業界に全道的に、北海道地区商業組合が設立され、海産物に就ては北海道海産物商業組合が結成され、組合長は小樽の伊藤森右衛門、長谷川末蔵、富岡重次郎、竹内清次郎が代々勤め、間瀬孝太郎が専務理事として此れを扶け、一方の小樽海産商問屋組合が、(佐藤直三郎、戸羽亨、間瀬孝太郎が代々組合長を勤めた)前記組合が交渉団体であるのに対し、これは経済団体として活動した。そして昭和十五年別に協商会を作り、製品の協同仕入、共同販売を行ったが、間もなく廃止となった。そのうち物資統制令に基く水産物統制が施行され、即ち海商連が解散して全道の業者は、内地売に就ては

一 北海道水産物元売組合

 理事長  真藤慎太郎

 副理事長 斉藤栄三郎(函館)

 常務理事 中内幾太郎(小樽)

が設けられ、又道内売に就ては、

二 北海道水産物卸商組合

 理事長  安藤孝俊

 常任理事 長谷川末蔵(小樽)間瀬孝太郎(小樽)

が設けられた。又此の外魚肥魚油の取扱に就ては

三 日本油脂販売会社

が出来て、札幌に支所西北海道油脂集荷組合が発足して、

 理事長  土方良吉(小樽)

 専務理事 間瀬孝太郎(小樽)水上清太郎(小樽)

が就任したが、昭和十九年水産団体法が施行されるに及んで、前期の諸機関が統合されて、「北海道水産業会」が設置され、小樽から中内幾太郎が常務理事に就任して、北海道の海産物、樺太の鰊製品集出荷を担当し、又小樽、釧路、室蘭の鮮魚市場を管轄したが、昭和二十一年解散して自由形態に戻った。

 斯様にして戦時中は従来の海産関係の商店や会社の幹部は統制組合の幹部職員に就任し、店員は多くは応召徴用を受けたが残りのものは各組合の職員になったので、個々の店舗は永い間休業転業の止むなきに至った。

 終戦前の海産商で現在営業している主なる者は左の如くである。

 栄和商会、遠藤商店、内山商店、大島栄太郎、佐野清、北海共栄会、高橋商店、高塚商店、塚本商店、カク三出戸商店、〇三出戸商店、間瀬商店、美根商店、宗像商店、西田直太郎、香村商店、丹波屋商店。