オスカーを手にした小樽出身のナンシー梅木(その二)14

2021年03月28日

 前号では小樽出身のナンシー梅木がジャズ歌手として内外で活躍したことを記したが、今回はこの人が梅木ミヨシ(本名)としてアメリカ映画に初出演し、日本人として初めてアカデミー賞(助演女優賞)のオスカーを手にしたことを振り返ってみたい。

ワーナーブラザーズ「サヨナラ」

 戦後、日本ロケによる外国映画「東京ファイナル212」「東京暗黒街・竹の家」「東京特ダネ部隊」などは悪評・苦笑の映画であった。

 そんな中でRKOの「二人の可愛い逃亡者」と、МGМの「八月十五夜の茶屋」は日本ロケもまともだったと思うが、ねらい方が日本のめずらしさへの追及が先行するため、日本人が観るとおかしく感じる面もあった。

 このような経過のあと、昭和32年につくられたのが、ワーナー・ブラザーズ映画「サヨナラ」(原題も同じ)であった。

  原作は「南太平洋」「トコリの橋」で日本にもなじみの深いジェームス・ミッチェナーの同名小説。「エデンの東」のポール・オスボーンが脚色。

 監督は「バス停留所」「ピクニック」のジョシュア・ローガン。撮影は「友情ある説得」のエルスワース・フレディリックス。音楽は「昼下がりの情事」のフランツ・ワックスマンという一流どころ。

 主演はマーロン・ブランドと二世美人の高美以子。そしてナンシー梅木と久場礼子も初めての映画出演したのであった。 

 物語は一種の「マダム・バタフライ」の現代版と言ってしまえば、それまでだが、アメリカ空軍将校と日本の美しい歌劇スターを登場させ、この恋愛を中心に超えがたい東洋と西洋との人種的なミゾについて批判を加えようとした作品であった。

 シネマスコープの画面いっぱいに、歌舞伎の舞台や少女歌劇のダンス、茶の湯、そして町や郊外の風景が撮影されたが、単に観光的な扱いをしなかったところが好評であった。

 脇役として登場するのが、レッド・バトンズとナンシー梅木である。役名はケリイとカツミで、実はこの映画では重要な部分を占めている。二人は軍の意向に反し結婚する。時は朝鮮動乱の頃、折から米兵と日本娘との交渉はきびしくなり「日本人と結婚した軍人は米国に送還する」との指令が流れた。ケリイも送還命令を受けたのである。そしてケリイとカツミは心中を遂げる…。

 映画を観た人たちは、マーロン・ブランドと高美以子よりも、バトンズとナンシー梅木の心情と演技に心ひかれたのである。

涙の助演女優賞

 ハリウッド最大行事であるアカデミー授賞式でオスカーを手にすることは今でも容易ではない。

 昭和32年のアカデミー賞の発表と授賞式は翌年33年3月であった。

 作品賞は「戦場にかける橋」。監督賞は同映画のデヴィッド・リーン。主演男優賞はアレック・ギネス。主演女優賞はジョアン・ウッドワード。助演男優賞は有力候補の早川雪州をおさえて、「サヨナラ」のレッド・バトンズが獲得した。

 助演女優賞候補にノミネートされたのは「情婦」のエルザ・ランチェスター、「青春物語」のディアン・ヴァ―シ、「独身者のパーティ」のカロリン・ジョーンズ、「サヨナラ」のナンシー梅木と続いた。

 助演女優賞を発表するアンソニー・クイーンがステージに上った。「ミヨシ梅木」と読み上げると会場は沸いた。着物姿のナンシー梅木は客席からボロボロ涙を流しながら、小走りにステージに向かった。

 舞台の横にいたジョン・ウェインは日本から帰国したばかりだったが、涙声であいさつするナンシー梅木をいたわるように見守っていたのが印象的だったそうだ。さすがジャズのステージできたえただけあって、彼女のあいさつは見事だったという。

 この授賞式は、この年から全米にテレビで流されたが、それを観た人たちは「彼女はキュートだ」と賛辞を送った。

 そして、ナンシー梅木はその後のテレビで「ジゼル・マケンジィ・ショー」やミュージカル「フラワー・ドラムソング」などにも出演して評価を高めた。

 世界に通じた小樽出身のナンシー梅木に、いま改めて拍手を送り、これからも語り継いでいきたいと思う。

img_0833A 「サヨナラ」のポスター

img_0834B 「サヨナラ」のシーン。

左よりマーロン・ブランド、ナンシー梅木、高美以子、レッド・バトンズ。

img_0835C カツミ役のナンシー梅木。

 

~HISTORY PLAZA 14

小樽市史軟解 第1巻 岩坂 桂二

月刊ラブおたる 平成元年5月~3年10月号連載より