『歌が語る小樽 その1』

2016年09月29日

 小樽を主題にした歌で、新しいものでは都はるみの「小樽運河」があるが、小金沢昇司の「小樽」、西山ひと美・彩木雅夫の「ふたりの小樽」、嘉納ひろしの「夢の町小樽」、その前には三條正人の「小樽のめぐり逢い」など、いわゆるご当地ソングが相次いで誕生した。

 新年を迎え、このHISTORY PLAZAも歌の世界から幕開けしたいと思う。

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 ご当地ソングの中で、全国的にヒットしたものの一つとして「小樽のひとよ」がある。

 

 逢いたい気持が ままならぬ

 北国の街は つめたく遠い

 粉雪まいちる 小樽の駅に

 ああ ひとり残して 来たけれど

 忘れはしない 愛する人よ

 この歌は作詞が池田充男、作曲が鶴岡雅義で、鶴岡雅義と東京ロマンチカが昭和42年に歌ったものである。このレコードのB面には、大海晴彦の「花園哀歌」がペアになっていた。

 この年は「君こそわが命」、「ブルー・シャトー」、「小指の思い出」、「夜霧よ今夜も有難とう」、「世界は二人のために」、「銀色の道」など多くのヒット曲が出たが、「小樽のひとよ」も此れと並んでヒットしたのである。 

 そのころは、ポップス歌謡、ムード歌謡とコーラス、フォークソングなど、海外音楽の影響を受けたもの、逆に言えば海外へも通じると思われる曲がヒットした。「小樽のひとよ」も、そんな背景と必然性があったような気がする。

 ムードコーラスグループは、東京ロマンチカのほか、ロスプリモス、マヒナスターズ、ココラティーノ、ロスインディオスが活躍した時代であった。

 意外と知られていないのが、最初に発売された「小樽のひとよ」のジャケットデザインとイラストは、地元小樽のデザイナー藤森茂男さん(昭和11年~62年)が描いたものである。

 カラー写真の多いジャケットの中でこの藤森さんの作品は、白黒を基調としたもので、私は高く評価している。

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 夜の闇ゆく ヘッド・ライトに

 はねありの散る 札樽国道

 君と肩 かすかにふれて

 ああ赤い 小樽の灯が見える

 

 昭和35年に吹き込み、同36年レコード発表されたこの「小樽の赤い灯(ひ)が見える」は、作詞が内村直也、作曲飯田三郎で三船浩が歌っている。北海道放送歌謡というサブタイトルがついていたもので、当時、HBCラジオは「みんなで歌いましょう」という番組の中で、毎日の様に流していたこともあってヒットした。

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 暗いこの世を 手さぐりで

 生きて流れる 花園あたり

 浮世通りの 灯にすがり

 酒で自分を 責めている

 そんなあなたに 抱かれて泣いた

 小樽の灯(あかり)

 

 吉川静夫作詞、渡久地政信作曲、青江三奈が歌った「小樽の灯(あかり)」である。私が市民会館に勤務していた昭和52年、青江三奈はここで、この歌を披露している。(次項の色紙はその時のもの) 

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 夕陽とかした 海に染められ

 子ども二人が 旅路を駈けて行く

 かえらぬ昔の 夢をみるような

 おれの小樽は 港町

 おふくろおれの名 呼んでいる 

 

 この曲は杉紀彦作詞、弦哲也作曲、小学校時代を小樽で過ごした石原裕次郎の「おれの小樽」である。

 この曲は昭和59年に開催された小樽博覧会の推せん曲でもある。‶おれの小樽のとしつきを 辿れば心に雪がふる〟‶おれの小樽は坂の町 別れたあの日が見えかくれ〟という歌詞の中にも、裕次郎の幼い日への思いが伝わってくるようだ。

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 このほか「小樽慕情」。また、山本譲二の「小樽発・利尻行」、北原ミレイの「石狩挽歌」、川中美幸の「忍路海岸のわかれ雪」など、小樽をモチーフにした多くの歌が出されている。

 札幌に地下鉄が出来た昭和46年から地下街でいつも流れていたいい歌があった。「アカシヤの花咲く北国の街」という曲で、作詞は青木久子という名で出ているが、玉光堂(小樽)の社長といわれている。作曲は彩木雅夫で真樹エリ子が歌っている。

 次号は、更に時代をさかのぼって昭和初期の「小樽小唄」などから述べてみたい。(続く)

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~小樽市史軟解 第1巻 岩坂 桂二

月刊ラブおたる 平成元年5月~3年10月号連載より