ある老親方~その三

2017年08月30日

 昭和十年以降鰊の漁獲量がぐっと減ったことから、北海道庁では昭和十二年に北海道鰊対策委員会を発足させ、今後の鰊繁殖問題に取り組んだ。

 本間さんは後志地区代表としてこの委員会に参画した。

 この時、北海道庁側から示されたのは鰊の人工孵化問題であったが、本間さんは此れを強く反対した。意味がない人工孵化より、従来から最も鰊の獲れている場所を北海道が借りあげ、これを鰊の禁漁区として繁殖にそそぐべきだと主張した。

 だが大勢はの意見が人工孵化にかたむき、これが実施に決定され、そして鰊の人工孵化が三年間続けられたがその結果は見るものが無かったと同じであった。

 その後鰊人工孵化は中止され、鰊繁殖禁漁区が設定された。

 昭和十一年秋に陸軍大演習が北海道で行われ天皇陛下が行幸になり、函館市においでになった時に

 「あんなに獲れていた北海道の鰊がなぜ獲れなくなったのか。これに対してどのような対策をたてているのか」

 という意味のご下問があったそうだ。その時函館水産試験場々長が

 「鰊の人工孵化を考えている」と答えたという話を聞かされていると本間さんは語っていた。