ある老親方~その四

2017年08月31日

 昭和二十五年四月一日から鰊の物価統制が解除された。そのころコメとニシンだけが解除されないままになってゐたのである。

 統制中の鰊の価格は十貫(約四十㌔)一円五十銭で売らなければならなかった。しかしいくら統制令だからといっても人は仔(四十㌔入)一円五十銭ではあまりにもひど過ぎると沿岸の鰊関係の代表者達がいろいろ陳情した結果、統制令解除近くになって五円に値上げが認められた。

 この陳情に代表者の連中は運動資金に当時の金額で百万円也を持って上京し、関係官庁や係官などに大々的に贈物したり接待などをしたのが発覚し、後で聞いたところによると関係者のほとんどが罪に処せられたそうだった。

 昭和二十五年三月二十九日に季節的にも珍しいことに、忍路で鰊の漁獲があった。わずかの海域だけれど十五㌧ほどの水揚げがあり、この時湾内で待機していた本州の粒買船が十貫箱(四十㌔入)千五百円で買値をつけた。また北海道内の旭川市やほかの都市からも二千円で注文の申込みがあった。

 こうなると地元では困ってしまった。あと三日で統制が解かれるが、まだ統制中である。人はこの鰊を五円で売るか二千円で売るかでは非常に大きな違いがある。

 当時、忍路の漁業協同組合長の本間さんの宅に買人側と売人側の人達が詰めかけ、喧々諤々やっているがなかなか話がまとまらない。

 そこで本間さんは後のことを考え売値を一箱千二百円と定め、その代わり口銭として一箱五百円を付け、最終的に一箱千七百円で取引するよう提案し、これを一回了承して決定した。

 この生鰊が消費地で小売りされた時、一箱四千円で売れたそうだった。